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更新日:2024年6月7日

土尻川砂防事務所

砂防のはじまり

日本における砂防工事は、明治に入ってから政府が招いた外国人技師によって始められました。それまでの治水工事は、河川が氾濫する部分に対して行われていましたが、外国人技師たちは氾濫部分での対応では被災箇所が未改修部分に移るだけで水害の繰り返しとなるため、水害の元となる山崩れの防止や崩落土砂の流下防止の工事を行いました。
また、鉄道や自動車道が整備される明治末頃まで、日本における人や物の移動は、街道を徒歩や牛馬を利用しての移動の他に、長野県内では太平洋から木曽川や天竜川を利用した船運と、日本海から千曲川(信濃川)や犀川を利用した船運が頼りであり、土砂により川の水深が浅くなることを防ぐことも砂防工事の目的でした。
長野県における砂防工事は、明治13(1880)年の木曽川支川蘭川が発祥で、翌明治14年に信濃川支川の千曲市佐野川、長野市浅川、長野市篠ノ井岡田川に着手しており、続いて犀川支川に着手、明治16年に安曇野市明科蜂ヶ沢、明治17年に長野市篠ノ井山布施沢、明治18年に松本市牛伏川、明治19年に長野市七二会泥沢、小川村薬師沢などで順次工事を実施しています。船運に重要な河川の上流部、荒廃の著しい水源地域における土砂発生源対策が真っ先に行われたことが判ります。
土尻川砂防事務所管内は犀川流域の北部フォッサマグナ地域に含まれ、約750万年から約400万年前に堆積した第三紀堆積岩類である泥岩、砂岩、礫岩、及び約750万年前に堆積した凝灰岩からなり、地殻変動により海底が隆起したところです。そのため地質構造は、断層、褶曲が発達しており非常に脆く崩れやすい地質です。
このような理由から土尻川砂防事務所管内の河川(黄字の河川)では、全国でも早期に砂防工事が始められました。

お問い合わせ

所属課室:長野県土尻川砂防事務所総務課

長野県長野市七二会己973-1

電話番号:026-229-2511

ファックス番号:026-229-1024

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