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更新日:2022年8月3日

中部北陸自然歩道

木

 

Chubu-Hokuriku Nature Trail

 

 

中部北陸自然歩道とは

 多くの人々が、自分の足でゆっくり歩きながら、中部北陸地域のすぐれた風景地を歩くことにより、沿線の豊かな自然環境や  自然景観、さらには歴史や文化に触れ、親しむためのみちで、中部北陸地域の各県(群馬県・新潟県・富山県・石川県・福井県・長野県・岐阜県及び滋賀県の8県)を結んで整備された長距離自然歩道です。
 中部北陸自然歩道のルートにおいて、一日で歩ける程度のルートを「一日コース」として区分し、それぞれのコースにコース名が設けられています。
 長野県においては、全体で34コース(総延長約666Km)に区分されています。

ルート全図(PDF:271KB)

 

環境省の環境アセスメントデータベース(EADAS)でルートの詳細が閲覧可能です。

https://www2.env.go.jp/eiadb/(別ウィンドウで外部サイトが開きます)

 

<閲覧方法>

1)環境アセスメントデータベース(EADAS)で「データベースを見る」の中の地理情報システム(GIS)の「地図を見る」をクリック

2)地図上の「情報項目」の「表示設定」メニューの中の「全国環境情報」をクリック

3)地図に「長距離自然歩道」のレイヤを追加

 「自然的状況」

 →「景観及び人と自然との触れ合いの活動の場の状況」

 →「長距離自然歩道」の「追加」をクリック

4)地図上に中部北陸自然歩道を含めた全国の長距離自然歩道が表示されます。

 背景図は変更することが出来ます。

 

ルート紹介

コード ルート名 コード ルート名

F1

小谷の里秘湯のみち H1 川中島古戦場とあんずの里のみち
F2 千石道と石仏群をめぐるみち H2 姨捨棄老伝説のみち
F3 仁科三湖とアルプストレッキングのみち H3 戦国村上氏を偲ぶみち
F4 仁科文化の里をあるくみち H4 信州の鎌倉塩田平のみち
F5 安曇野をゆくみち H5 懐古園と巨峰ぶどうのみち
F6 わさび田と道祖神をめぐるみち H6 布引観音と御牧のみち
F7 サラダ街道をゆくみち H7 浅間高原追分のみち
F8 木曽工芸の里峠越えのみち I1 軽井沢木洩れびのみち
F9 義仲と関所越えのみち I2 浅間を望む佐久平のみち
F10 木曽ヒノキと浦島伝説のみち I3 蓼科山麓と松並木のみち
F11 川西古道と桃介橋のみち I4 和田峠と黒曜石の里のみち
F12 藤村をしのぶ文学と歴史のみち I5 諏訪大社と御柱のみち
G1 一茶と野尻湖をめぐるみち I6 塩嶺王城小鳥のみち

Ga1

戸隠古道をたずねるみち I7 野麦峠飛騨へのみち
G2 北信五岳を望むりんごの里のみち    
G3 北信濃浪漫街道をたずねるみち    
G4 姥捨山更級紀行のみち    
G5 筑北の里をめぐる峠みち    
G6 松茸と信府へのみち    
G7 アルプスを望み松本平のみち    

 

【アルプス安曇野塩のみち】

 coming soon

 

【中山道木曽路のみち】

 coming soon

 

【中山道佐久から諏訪へのみち】

 coming soon

 

【北国街道北信濃のみち】

 coming soon

 

【北国街道千曲川旅情のみち】

 < G3 北信濃浪漫街道をたずねるみち 27.7km >

 白坂峠でリンゴの町・豊野町(長野市)に入る。古くは、牟礼道と松代道の交差する交通の要衝として栄え、町のほぼ中央を国道18号線が走り、秋には「アップルライン」と呼ばれにぎわいを見せている。
 千曲川に架かる小布施橋を渡り、葛飾北斎と栗で有名な小布施町に着く。町並みの景観が素晴らしく、古き良き時代の雰囲気を漂わせている。コースから少し逸れるが、郷土環境保全地域に指定されている雁田山麓には、戦国大名福島正則の霊廟のある岩松院がある。ここには、北斎の晩年の大作『八方睨みの鳳凰』が天井画として今も残っている。
 小布施の街並みに別れを告げ、土蔵、大壁造りの歴史の重みを伝える建築物が残る須坂市に入る。戦前は製糸業で栄え、戦後は電子精密機器産業が発達してきた所である。町の中心部には、蔵造りをはじめ洋風建築、社寺建築等、非常にバラエティーに富んだ町並みを形成している。
 綿内、若穂の旧街道沿いの町並みも風情があり、往時を偲ばせる。関崎橋から更埴橋までの川沿いの道は、うねるような千曲川の向こうに広がる善光寺平を見ながらの散策となる。

 

 < H1 川中島古戦場とあんずの里のみち 19.3km >

 三太刀七太刀の碑を後に、松代大橋を渡り真田十万石の城下町、松代に着く。ひっそりと落ち着いた武家屋敷には、往時の面影が残り、訪れた人々の足を止める歴史のある古寺や屋敷、日本庭園が点在している。
 松代城址や真田宝物館を見たあと、千曲川沿いに進むと左手に上杉謙信が陣を張った妻女山が見えてくる。妻女山展望台に登れば、善光寺平、北信五岳を望むことができる。
 さらに、更埴市に入った後、雨宮へ進み、あんずの里として知られる森の集落に着く。4月中旬には、あんずの花が満開となり、多くの人々で賑わう。
 近くには、森将軍塚があり、県立歴史館・森将軍塚古墳館が建てられ、周辺一帯が科野の里歴史公園として整備されている。森からは、再び山道を登り、宮坂峠に着く。
 宮坂峠からの千曲川の雄大な流れを眺めながら下ると、さらしなの湯「戸倉温泉」に着き、一日の疲れをお湯に流せる。

 

 < H2 姨捨棄老伝説のみち 14.8km >

 今ではゆったりとした流れであるが、戸倉上山田の歴史は、洪水との戦いであったといっても大袈裟なものではない。堤防が築かれた大正時代以降は、水害に悩まされることは少なくなった。盛大に開かれる夏祭りも水天宮を祭るものである。
 明治の中頃に温泉が湧出して以来、善光寺詣での客を集めている戸倉上山田温泉で疲れを癒してから、姨捨山に続く信濃路自然歩道を進む。急な登りであるが、千曲川のゆったりとした流れを見ながら歩けば、清涼な風に疲れも飛んでしまうほどである。
 棄老伝説の舞台となった冠着山(姨捨山)の山頂近くまで来ると、ここからは平坦な林の道が続き、しばらく歩くと、千曲高原への分岐点となる一本松峠に着く。さらに別荘が点在する道を進めば、終点の聖湖が見えてくる。

 

 < H3 戦国村上氏を偲ぶみち 25.2km >

 戸倉から坂城へ向かう途中にある磯部地区には、旧北国街道の町並みが残り、道祖神などの石仏群も多く見受けられます。山裾が急に千曲川に迫り出すと、坂城町に入ります。この迫り出した山の上には、南北朝時代以前より北信濃一帯に勢を張った豪族、村上義清の居城であった葛尾城跡があります。ここからの眺めは良く、悠々と流れる千曲川と山並みを満喫できます。旧国道を通ると、長野の権堂とならんで遊廓が置かれた坂木宿に着きます。本陣跡、問屋跡等が見られるだけになってしまいましたが、静かな町並みに、往時を偲ぶことができます。今も旧家が多く残る鼠宿を抜け、千曲川を渡り堤防沿いの道を行くと岩壁に出会います。この岩壁を巻くように走る細い道は東山道で、天日堂や馬脊神社等文化財が点在しています。なかでも青木村の大法寺は別格で、三重塔は、国宝に指定されています。その典雅荘重さは俗に『見返りの塔』として、全国に知れ渡っています。ここから、殿戸の部落を通り、峠を越えると真田氏の隠し湯として知られる、別所温泉にたどり着きます。旅の疲れをゆっくりと癒してください。

 

 < H4 信州の鎌倉塩田平のみち 17.7km >

 別所温泉にある安楽寺には、我国に残る唯一の木造三重塔である『八角三重塔』があります。国宝に指定され、鎌倉時代の禅宗様の手法を今に伝えています。長野市の善光寺が南面しているのに相対することで、その名がある北向観音や、『未完成の完成塔』と言われる三重塔をもつ前山寺、東日本最古の仏堂の中禅寺薬師堂等、文化財にも恵まれています。この地域は、全盛期の鎌倉文化の特色を、よく伝えている文化財が数多く残されていることから『信州の鎌倉』と呼ばれています。この地域は、一年を通して降水量が少ないため、昔から農業用のため池が多く造られています。ため池を縫うように塩田の道を歩いて行くと、日本最古の庭園の趣きを残すと言われる生島足島神社に到着します。このまま北へ向かえば真田氏の居城上田城があるが、中部北陸自然歩道ルートは東山の裾を通り丸子町へと向かいます。依田川沿いに進み、千曲川に出会い、旧道を行くと、国の重要伝統的建造群に指定されている『海野宿』に入ります。延長約650mの街道の中央に用水を引いた宿場町で、旅籠屋造りの建物や、蚕室造りの建物が宿場町の雰囲気を醸し出しています。

 

 < H5 懐古園と巨峰ぶどうのみち 15.5km >

 伝統的な家並が残る『海野宿』を後に、烏帽子岳の緩やかな南斜面の道を進みます。江戸時代に建てられた農家の「春原家住宅」や、明治12年に建てられた学舎が残る「和学校記念館」を見学しながら、巨峰とクルミの畑を抜けて行きます。東町の歌舞伎舞台、御姫尊の巨石等の文化財に触れ、新張に到着します。ここから湯の丸高原に向かって続く「百体観音」の出発点となる「一番観音」があります。中部北陸自然歩道はここより南に進路をとり、旧国道へと向かいます。途中、江戸時代の名力士『雷電為右衛門』の生家が保存され、佐久間象山の銘の石碑も建っています。旧北国街道沿いに歩を進め、所々に残された古い家並や、一里塚等を見ながら行くと、「小諸なる古城のほとり」で知られる小諸・懐古園に到着します。

 

 < H6 布引観音と御牧のみち 19.2km >

 海野宿を出発し、急な木戸坂を登ると八重原台地が広がり、上杉謙信との合戦に備えて武田信玄が築いた外山城跡があります。ここからは、烏帽子岳、浅間山の眺望が良く、曲がりながらゆるやかに流れる千曲川との景色を楽しみながら、田園の中を歩くと、『芸術むら公園』に着きます。登り窯や、キャンプ場、コテージ等、文化施設や野外活動施設があり、たくさんの人々が利用しています。森林浴を楽しみながら歩いていくと、観音寺の木造阿弥陀三尊像、縁切地蔵等の文化財や、樹齢800年を超える黒槐の木などに出会えます。また、昭和58年に温泉が湧出した、3つの源泉を持つ『御牧乃湯』は、豊富な湯量を誇り、県内外から広く親しまれています。ここからしばらく東へ行った所に、布引観音があります。正式名は、釈尊寺観音堂宮殿と言い、数十mの断崖にとりつけられた懸崖造りの観音堂で、鎌倉様式を伝える重要文化財です。この布引観音には、善光寺との間にまつわる伝説もあります。千曲川沿いに歩いてゆくと小諸・懐古園に到着です。

 

 < H7 浅間高原追分のみち 12.9km >

 自然の地形を利用して築かれた小諸城は、今わずかに大手門と三の門を残すのみとなりましたが、城跡は『懐古園』として親しまれています。戦国時代の史跡や、文学的な名所等に恵まれ、特に、明治の文豪島崎藤村に関わる資料等が展示されている藤村記念館があります。城跡から眼下を流れる千曲川の詩情をたたえ、「小諸なる古城のほとり・・・」ではじまる『千曲川旅情のうた』の詩碑周辺は、人のたえることがないほどの賑わいを見せています。北国脇往還を東に進むと、浅間山から噴出した細かい軽石層が、土中バクテリアの作用で丁度麦飯の様な形状となって不思議がられている『天狗の麦飯』の産地があり、国の天然記念物に指定されています。ここから、浅間山方面に進み、追分馬子唄のふるさと、追分に到着します。中部北陸自然歩道の終点には「分去れの碑」があり、中山道と北国街道の分岐点を示しています。

 

 

利用者の皆様へ《お願い》

中部北陸自然歩道を安全に楽しく利用できるよう、皆様に次のことをお願いいたします。

 

  • 事前にコースを十分検討し、余裕のあるスケジュールを組みましょう。
    (特に、山間部や峠越えルートの場合は十分な情報を得て検討してから利用してください。)
  • 自分のゴミは持ち帰るよう心がけてください。
  • 歩行中は禁煙にご協力ください。
  • 車の往来が激しいルートもありますので、十分注意してください。

 

ご不明な点などございましたら、下記のお問い合わせ先までお問い合わせください。

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お問い合わせ

環境部自然保護課

電話番号:026-235-7178

ファックス:026-235-7498

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