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更新日:2018年1月22日
伊那建設事務所
上伊那地域の建造物の景観をご紹介します。
澄心寺(箕輪町三日町)
創立は1199年(正治元年)と伝えられ、現在の法堂は1752年(宝暦二年)に整備されました。広い法堂内では、各種法要やコンサートなどが行われ、多くの方々がお参りされています。
熱田神社(伊那市長谷溝口)
平成5年に国の重要文化財に指定されました。「伊那日光」と呼ばれる彩色された本殿の彫刻が素晴らしく、信仰厚い溝口村氏子の淨財により再建されました。彫刻は「上州の左甚五郎」と言われた関口文二郎、彩色は武州の森田清吉という名匠によるものです。
無量寺阿弥陀堂
国の重要文化財の阿弥陀如来像が安置してあった堂 現在は隣接するRC造の堂に安置されています。
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仲仙寺(伊那市羽広)
通称「羽広観音(はびろかんのん)」と呼ばれ、「馬の観音様」として、広く信仰を集めました。伊那市坂下の常圓寺からの参道である羽広道には丁石(一丁=約109mごとに立てられた道しるべ)と呼ばれる石仏が、当初は53体あり、現在でも三十数体残っていて、こちらも沿道の景観要素の一つとなっています。
光前寺(駒ヶ根市)
霊犬早太郎説話でも有名。樹齢数百年の杉巨木に囲まれ、道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、さらにはヒカリゴケが自生している。境内全域が、「光前寺庭園」の名で名勝に指定されている。
旧小野家住宅(辰野町)
長野県宝に指定されています。 小野宿の町並みの中心的建物です。
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旧小野郵便局(辰野町)
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西駒山荘(駒ヶ根市)
大正2年(1913)中箕輪尋常高等小学校の学校登山において11名が亡くなる遭難があり(新田次郎「聖職の碑」として映画化される)、避難小屋の必要性が指摘され建設されました。
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SBC信越放送伊那ラジオ送信所
JOCW/1098KHz中波のSBCラジオ送信所です。
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駒ヶ根市郷土館(旧赤穂村庁舎)
駒ヶ根市指定有形文化財指定、大正期の洋風建築で駒ヶ根市役所の旧庁舎。昭和46年秋に庁舎新築に伴い、庁舎の代表的部分を現在地に移築し、郷土館として保存されました。旧庁舎は大正11年10月に、旧赤穂村役場として、当市出身、伊藤文四郎工学博士の設計により建築されました。
旧竹村家住宅(駒ヶ根市)
重要文化財。竹村家は江戸時代には代々名主をつとめた家で、江戸時代中頃(約270年前)の建物と考えられています。当地方の江戸中期上層農家の典型として、貴重な民家です。
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宮田宿本陣 旧新井家住宅
宮田村町区の宿場町にあった伊那街道に唯一残る江戸時代の本陣を、現在の場所に移築復元。県宝に指定されています。宮田宿は飯田藩主が参勤交代で江戸に向かう時、この地を宿泊地としたことや、伊那谷一の荒れ川太田切川を南に控えていたことから、伊那街道の要所として賑わいました。大名の宿泊施設として置かれた本陣は藩の臨時の役所や役人の休憩所としても使われました。
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鳩吹き公園(伊那市)
中央アルプスの山裾、「つつじの里メイン公園」としてツツジが約3万本植えられており、春には様な種類のつつじがとても綺麗に咲き誇ります。風車展望台がシンボルとなっています。
上伊那図書館(伊那市)
市-指定-有形文化財 当時の長野県内において鉄筋コンクリート造に実績のある黒田好造が設計し、岡谷組の施工によって建てられました。大正末期から昭和初期の思潮を良く反映した近代建築です。外壁には地元高遠焼きのテラコッタタイルが使用されるなど、貴重な昭和初期の洋館です。実業家・武井覚太郎の厚志によって建てられ、平成15年まで上伊那図書館として使用されてきましいた。
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御殿場遺跡(伊那市富県)
長野県史跡に指定されています。出土した顔面付釣手形土器は国重要文化財です。住居址には縄文中期の住居が復元されています。
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旧陸軍伊那飛行場跡(伊那市)
文熊谷陸軍飛行学校伊那文教場(正式名称)として開所され、昭和20年8月敗戦により閉所されました。飛行機の格納庫(木造)の基礎が市の戦争遺構として保存されています。
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