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更新日:2022年8月3日
このコーナーでは、長野県がどのようにできたか、長野県のれきしを勉強しよう。
むずかしそう・・・
しんぱいするなって、かんたんに話すから。
さて、「長野県」という県の名前は、今から約150年前の1871年に決められました。じゃあ、もっと昔、長野県はなんてよばれていたでしょうか。有名な歌があるね。
かんたんさ!「信濃(しなの)の国」だよ。
せいかい。県歌「信濃の国」にもあるように、長野県は昔から長い間、「信濃国」とよばれていたんだね。どれくらい昔からかというと、今から1300年以上も昔の7世紀後半に、「科野(しなの)国」が成立したことが知られているんだ。その約50年後の704年、漢字を「信濃」に改めて、信濃国の印がはじめてつくられたんだ。
1300年も前から「信濃の国」だったんだ。
当時、木曽地方は美濃(みの)国(今の岐阜県)だったんだけど、その後、15世紀から16世紀にかけての戦国(せんごく)時代のころには信濃国となり、今の長野県とほぼ同じ地いきが信濃国となったんだ。
さて、戦国時代には信濃の国でも有名な戦いがおきているよね。そこで問題です。
<問題>
戦国時代の名将(めいしょう)として知られる武田信玄(たけだしんげん)と上杉謙信(うえすぎけんしん)が信濃国で戦った有名な戦いはどれでしょう。
ヒント:長野市の地名だよ。
答えは長野県の歴史2へ
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