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更新日:2023年10月1日
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日本のパトカーは、昭和25年にアメリカ軍からオープンカーをゆずり受けたのが始まりです。
パトカーが白と黒のツートンカラーになったのは、現在のような形のパトカーが日本に登場した当時は、日本で生産される自動車の色がほとんど白色で、パトカーも白一色だと、ちょっと見ただけではパトカーと一般の自動車との見分けがつきませんでした。そこで、パトカーであることが一目でわかるようにするために、白色ボディーの下半分を、その反対色の黒色に塗りました。これが、パトカーを白と黒の2色にした始まりで、昭和30年には全国的に統一されました。
長野県警察の歴史に刻まれているパトカーを紹介と、パトカーとともに活躍してきた古き警察車両を紹介しましょう。
昭和20年代に活躍したサイドカー
昭和20年代のパトカー
昭和30年
まだまだ車は高嶺の花
(現行警察法施行1周年を記念した自転車行進・小諸署)
昭和31年
非常招集訓練(臼田署)
昭和32年
サイドカーの運転技術競技会(機動隊)
平成11年
車両点検(長野中央署)
平成12年
車両点検(駒ヶ根署)