ここから本文です。
更新日:2020年1月17日
北アルプス地域振興局
事業案内/入札積算/小水力発電/地すべり防止区域/大北の疏水と棚田/リンク集
日本では、古代から近代にいたるまで水田を中心とした国造りが行われてきました。
急峻な地形、モンスーン気候といった厳しい条件下で、国土を保全し、狭い耕地ながら多くの人口を維持するためには、水田社会の形成はいわば必然の選択だったとも言えます。
水田は多量の水を要します。米の出来不出来は水の管理次第。
先人は、水を得るため何10kmと離れた川に堰を築き、村まで水路を引いてきました。
水田造りは、とりもなおさず水路造りを意味します。田や村が増えつづけるたびに水路もまた増え続けました。
2千年にわたって営々と築かれてきた農業用水路。その総延長は実に約40万km。地球10周分に相当するほとんど無数の水路群が、細かい網の目のように日本の国土に張り巡らされています。
『疏水(そすい)』とは、この水路造りや水路網をあらわしています。
先人が築いた疏水は、現在も脈々と私たちのまわりを流れています。
木流川(白馬村)
上原温水路(大町市)
高瀬川沿岸用水(大町市・池田町・松川村・安曇野市)
『棚田(たなだ)』とは、傾斜地にある稲作地のこと。
傾斜がきつい土地で、耕作単位が狭い田が規則的に集積し、それらが一望の下にある場合は千枚田(せんまいだ)とも呼ばれています。
日本の稲作の適地は、水はけが良く、水利が良い土地です。土地には元々傾斜があるが、傾斜が少な過ぎる土地、および排水しづらい土地は湿地となるため水田不適地となります。
また、灌漑をする場合はある程度の傾斜が必要であり、傾斜が少ない河川下流域の沖積平野は、江戸時代以前は稲作をするのに不適当であったが、近世以前の稲作適地は、地形で言えば洪積台地や河岸段丘の上、平地の分類で言えば盆地や河岸中流域など傾斜がある土地となり、集団化した農民が灌漑設備をつくって棚田をつくるのが一般的です。
棚田は1つの田当たりの耕作面積が小さく、「大型」農業機械の導入が困難である。しかし、棚田まで、あるいは棚田間に舗装された道路を通すことで、「小型」農業機械の導入は可能である。
一般的に、1つの集落では同時期に同じ農作業が重なってしまうため、効率の悪い「小型」の方が集落全体での共有化が難しい。
しかし、棚田は山の上と下で農作業時期が微妙に違うため、平地の集落に比べて農業機械の共有化がし易い。
重太郎(大町市八坂)
青鬼(白馬村)
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください