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更新日:2024年11月14日
上伊那地域振興局
伊那市を流れる三峰川の両岸は、地盤の隆起や川の浸食によって形成された「河岸段丘(河川に沿って発達する階段状の地形)」となっており、河床面よりも高い位置にある段丘面では三峰川の水を使うことができず、昔は桑畑や原野が広がっていました。
江戸から明治時代になると、「お米をつくりたい」という地域の願いを受けて、伝兵衛井筋や一番井といった水路が土木技術者の手により開削され、新田開発が進みました。
その後、昭和に入って治水・発電・かんがいを一体的に行う「三峰川総合開発」と呼ばれる事業が始まり、三峰川の上流に二つのダム(高遠ダム、美和ダム)が造られました。このダムの建設により、安定した農業用水の確保が可能となり、一体の農地面積も飛躍的に拡大しました。
伝兵衛井筋 | |
三峰川左岸の段丘(現在の伊那市東春近原新田地域)に水を引くため、江戸時代に「柳沢弥左衛門」や「伊東伝兵衛」によって開削された農業用水路です。 |
六道の堤 | |
江戸時代の末期に、高遠藩主「内藤頼寧(ないとうよりやす)」が、六道原の新田開発を行うため、藤沢川から取水する約10kmの水路「一番井(六道井)」とともに築造したため池です。 当時農民は、年貢(税)として米を藩に納めており、藩は収穫量を増やして生活を豊かにするため、原野や川原等を開拓して、新たに水田を造ることを進めていました。 これらの工事は規模も大きく、容易ではありませんでしたが、藩の直営事業として多くの資金と労働力が投入されたため、わずか数年で完成に至りました。 |
高遠ダム | |
三峰川総合開発(ダムによる洪水調節、水力発電、農地へのかんがいを目的として、県が実施した事業、1959年完了)により、当施設より上流にある美和ダムと併せて建設されたダムです。 また、同事業の一環として、三峰川両岸の農地をかんがいするための新たな水路が整備されたことで、一帯の農地面積は事業前の約1,200haに、新規開田357ha、畑地へのかんがい945haを加え、約2,500haに大きく拡大しました。 |
虹橋 | |
三峰川総合開発の一環として建設された幹線用水路の一部で、高遠ダムで貯めた水を、三峰川右岸にある約1,140haの農地へ運ぶ重要な水路橋です。 1983年に完成して以降、老朽化が目立っていたことから、2001年に県が改修工事に着手し、2007年に現在の形に生まれ変わりました。 橋の構造は鋼アーチ橋で、三峰川の水面からの高さは約40mあります。水路の上は、左岸の住宅地と右岸の国道361号を通路幅2mの歩道として整備され、今もなお通学路・通勤路として使用されています。 |
地域農業の発展にまつわる歴史と、それを支える水利施設の役割について掲載しています。
冊子は、A4判カラー刷り14ページで、イラストや写真が多く読みやすい内容となっています。
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