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更新日:2018年2月27日
ぼくは、歌の歴史(れきし)を調べたよ。
お父さんも、おばあちゃんも歌えるって言ってたから、古い歌なんだよね。
そうなんだ。「信濃の国」は、明治32年(1899年)、長野師範(しはん)学校(現在の信州大学(しんしゅうだいがく)教育学部(きょういくがくぶ))の先生だった浅井洌(あさいきよし)という人が、小学生向けに詞を作り、よくとし、同じ学校の音楽の先生、北村季晴(きたむらすえはる)という人が作曲しました。
100年以上も前の歌なのね。
最初は、運動会での女子のダンス用にとたのまれて曲をつけたそうよ。
女子のダンス用!?どんなダンスなのかな?
今ではめったにおどることがなく、私もわからないの。
ところで、「信濃の国」はどうしてみんなが歌えるほど広まったの?
師範学校というのは先生になる人が行く学校だったんだけど、卒業生はそこで習った「信濃の国」を、今度は先生として生徒に教えることで広めていったそうよ。
なるほど。
ところで、長野県では昔、県を二つに分けようという運動があったんだけど知ってるかな?
県を二つに分けちゃうの?
長野県は広くて、地域ごとに風土(ふうど)や文化がちがうから、かこに何度も県を分けようという運動があったの。そんな時に、みんなが信濃の国を歌うことで心が一つになって、県を分けることにはならなかったそうよ。
歌声を聞いて、県を分けちゃいけないって思ったのね。
そうなの。昭和23年に、県議会(けんぎかい)では県を分けるか分けないか話し合われました。その時、議場(ぎじょう)を取りかこんだ数千人の聴衆から「信濃の国」の大合唱が起きたそうなの。それでけっきょく、県を分けることにはならなかったの。
そうなんだ。
今でも、県外に住む長野県出身の人が集まると、かならず「信濃の国」を歌うそうよ。
心を一つにする、ふしぎな力がこの歌にはあるのね。
みんなもこれから「信濃の国」を歌うとき、意味や歴史も考えて歌おうね。
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