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更新日:2014年6月24日

水産試験場

染色体操作による新たな養殖魚「信州サーモン」の開発

※ この論文は、「バイオサイエンスとインダストリー65(12)596-599」に掲載されたものを、一般財団法人バイオインダストリー協会様のご承諾をいただき、転載しています。

 

染色体操作による新たな養殖魚「信州サーモン」の開発

長野県水産試験場増殖部 主任研究員 傳田郁夫

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キーワード:染色体操作、四倍体、異質三倍体、ニジマス、ブラウントラウト

 長野県水産試験場では、染色体操作(染色体工学)を用いて開発したニジマス四倍体雌とブラウントラウト性転換雄との三倍体性交雑種を養殖魚として実用化し、「信州サーモン」の愛称で生産者と県が協力しながら普及を図っている。この信州サーモンの開発から普及までの取組を紹介する。

はじめに
 農林水産統計によると2006年の全国のマス類養殖生産量は10,994tで、内水面養殖生産41,229tの26.7%、海面を含めた国内の養殖生産30万tの3.7%を占めている。長野県のマス類養殖生産は1970年前後には4,000tを超える生産があったが、その後は減少傾向が続いており2006年には、1,831tとなっている。産業規模とすると小さなものであるが、地域の食材が見直される中で地場産業として重要な役割を果たしている。
 長野県のマス類養殖は、ニジマス養殖から始まり1960年代には輸出、1970年代には国内の大規模市場出荷を中心に発展したが、主力の塩焼きサイズのニジマス需要が低迷し、付加価値の高い魚が求められるようになった。これに対応するため、長野県ではヤマメ、イワナ等の在来マスの養殖技術の普及を図るとともに、シナノユキマス(コレゴヌス)やニジマス全雌三倍体の種苗を供給して刺身を中心とした新たな市場開拓を支援してきた。
 さらに、より高い付加価値と生産性の向上を目指して、異質三倍体による新たな養殖魚の開発に取り組み、全雌異質三倍体ニジニジブラ「信州サーモン」の実用化に成功した。

1 三倍体魚等の利用の現状
 染色体操作で開発した養殖魚の利用については、その適正な利用を図るため、水産庁で「三倍体魚等の水産生物の利用要領」(平成4年7月2日付け水産庁長官通知。以下、「要領」とする。)を定めている。要領では、雌性発生、雄性発生及び染色体倍数化の手法で開発された三倍体魚等を対象として、利用者は事前に三倍体魚等の特性評価を行い利用方法とあわせて水産庁に申請し、要領に適合していると確認されたもののみを利用することしている。
 これまでに、試験的な利用を含めて魚類12種、貝類1種で27件の特性評価等の確認がされている。魚類のうち10種がサケ科魚類とその交雑種である。2005年の三倍体魚等の養殖出荷は、魚類では11種で797t、このうち615t(77%)がニジマス全雌三倍体であり、これ以外はごく限定的な利用にとどまっている(表1)。ニジニジブラ以外の全雌異質三倍体としては、卵処理で作出したニジマスとイワナの交雑種及びニジマスとアマゴの交雑種の2種が愛知県で生産されており、その生産量は両種を合わせて14.6tとなっている。なお、表1中のアユ全雌二倍体は、開発の過程で染色体操作の技法を用いていないため要領に基づく確認の対象外であるが、三倍体魚等に準じるものとして集計に含められている。また、ニジマス四倍体のように親魚として利用され、食用出荷のないものはこの集計に含まれていない。

表1 2005年の三倍体魚等の養殖出荷量
表1
(水産庁研究指導課とりまとめ資料より)

2 開発に用いた基本技術
 魚類における主要な染色体操作技術とその利用の方向性については、1980年代までに示されている1)。これらの技法のうち、全雌異質三倍体ニジニジブラの開発に当たっては、卵割阻止によるニジマス四倍体の作出、ニジマス四倍体と他種二倍体の交雑による異質三倍体の作出と三倍体化に伴う通常受精では致死性となる雑種の生存性回復を利用した。また、染色体操作技法と並行して研究された性の制御技術を用いて全雌化を図っている。
(1) 四倍体の作出
 三倍体を作出する技法としては、受精卵に物理的刺激を与えて第二成熟分裂で第二極体として捨て去られる1組の染色体を細胞内にとどめる方法(第二極体放出阻止)と四倍体を作り二倍体と交配する方法がある。サケ科魚類では一般的に、高圧処理又は温度処理による第二極体放出阻止が用いられている。この方法は、処理の最適条件を見つけることができれば比較的安定した結果が得られるが、処理強度が低いと三倍体化しない個体の混入率が上がり、処理強度を上げると生残率の低下が起こるため条件設定が難しい。また、産業規模で受精卵を均一に処理するためには大きな労力と設備が必要となる。
 一方、四倍体と二倍体の交配では、理論的に卵処理なしで100%の三倍体を得ることができるが、四倍体作出の成功率は極めて低い。当場では、平成3年から本格的に四倍体作出に取り組んだ。卵割阻止による四倍体の作出率は、供試卵22万粒に対して得られた成熟魚43尾(0.02%)であったが、作出した四倍体同士を交配することで実用的な数量の四倍体を確保することができるようになった2)。この技術は、平成12年に「ニジマス全雌四倍体の種苗生産および養殖」及び「ニジマス四倍体を用いたニジマス全雌三倍体の種苗生産および養殖」として、要領に基づく確認を受けて実用化を図っている。
(2) 異質三倍体の作出
 サケ科魚類の異種間交雑においては、二倍体では致死性である雑種が異質三倍体にすると生存性を示す場合があること、同じ種間でも雌雄を入れ替えると生存性が異なる場合があることが知られている3)
 ニジマスの四倍体及び二倍体の雌とイワナ、カワマス、ブラウントラウト及びヤマメの雄を交雑した結果を表2に示した。ニジマス四倍体雌とイワナ、カワマス、ブラウントラウト及びヤマメの二倍体雄との交雑でいずれも生存性のある雑種が得られた。雌雄を入れ替えた交雑では、孵化まで至るものはなかった。これまでに、これらの二倍体同士の交雑では、生存性の雑種は得られないか、得られてもその3か月後の生残率は10%未満と非常に低いことが報告されている4)5)
 魚種により、食味や魚病に対する感受性に違いがあることから、サケ科魚類においても育種の手法として異種間交雑が考えられていたが、一部を除き二倍体同士の交雑では生存性の雑種を大量に作出することは困難であった。ニジマス四倍体雌を利用することにより、特別な処理を必要とせずに大量の三倍体雑種を作出することが可能となった。

表2 ニジマスとカワマス、ブラウントラウト、イワナ及びヤマメの交雑試験結果
表2

(3) 性の制御
 サケ科魚類の淡水養殖では、大型魚を生産しようとすると性成熟に伴う死亡や肉質の低下が問題となる。このため、不妊種苗への要望がありニジマスの全雌三倍体が開発された。
 サケ科魚類の性染色体はXY型である。ニジマスの三倍体を作出した場合、雌(XXX)はまったく成熟しないが雄(XXY)は二次性徴を示し異数体の精子を形成することが確認されており、多くのサケ科魚類でも同様である。ニジマスの全雌化の手法としては、雌の稚魚に浮上直後から2か月間、雄性ホルモンを餌に添加して経口投与することにより、Y染色体を持たないが精子を形成する能力がある機能的性転換雄(XX)を作出し、これを通常の雌(XX)と交配することで全雌を生産する技術が開発された6)。さらにこれを三倍体化することで不妊種苗の生産が可能となった。全雌ニジニジブラの場合、この技術を雄親魚であるブラウントラウトに応用して全雌化を図っている7)

3 開発の経過
 当場が信州サーモンの開発にとりかかったのは1994年である。長野県では、刺身など生食を主な用途とする1~2kgサイズの大型マス生産用として、1980年からシナノユキマス(コレゴヌス)の、1987年からはニジマス全雌三倍体の種苗供給を開始していた。しかし、シナノユキマスはニジマスとは異なる飼育技術が必要であったことなどから、一部地域で特産魚として定着するにとどまりニジマスからの魚種転換は進まなかった。一方、ニジマス全雌三倍体は、県内生産量が年間200t前後と定着したところであったが、全国的に生産されたため地域の特産魚としての販売が難しく、他産地の大型ニジマスや、輸入サケマス類などとの価格競争にさらされた。また、この頃から、ニジマスの大型魚でIHN(伝染性造血器壊死症)、レンサ球菌症、OMVD(マス類のヘルペスウイルス病)による被害が深刻となり、特に、有効な治療法がないウイルス病に強い種苗の開発が強く望まれた。
 初期段階では、表2に示した魚種について交雑を試みて、作出された異質三倍体の特性を調べた。これをもとに、ベースとなった魚種の魚病に対する感受性、生まれた異質三倍体の生残率、斑紋等の外観から、最終的にニジマスとブラウントラウトの交雑種に絞って特性評価を進めた8)

写真:信州サーモン
写真:全雌異質三倍体ニジニジブラ(信州サーモン)
全長65cm、体重5.1kg

 ニジニジブラの特徴として、外観的には、ニジマスに似るが、稚魚から1kgサイズまではニジマスに比べ黒い斑紋が大きいことが目立つ。個体差はあるものの、斑紋は大型個体になるにつれ目立たなくなり、次第に銀白色が強くなる(写真)。成長はニジマス三倍体とほぼ同等で、概ね2年で主要な商品サイズの2kgとなる。ニジマス全雌三倍体と同様に雌のニジニジブラは成熟しない。ウイルス病に対する抗病性については、人為感染試験でIHN、OMVDによる死亡率がニジマスより有意に低いことを確認した。飼育管理面では、基本的にニジマスの施設と技術で飼育可能であることがわかり、これまでニジマスを生産してきた人であれば新たな施設投資・技術習得の必要がなく、スムーズに魚種転換可能である。
 食味の点においては、県の調理師会に協力をお願いして食材としての評価をしてもらったところ、(ア)淡水魚特有の臭みがほとんどない、(イ)きめが細かく舌触りがよい、(ウ)適度な脂の乗りがあるなど、刺身や昆布〆などの特に生食用に向いているとの高い評価を得た。また、エネルギー、たんぱく質、脂質の成分分析結果を他のサケマス類と比較したところ、養殖魚としては、高たんぱくで低脂質、低カロリーであり天然のサクラマスに近いものであった(図)。

図
図 信州サーモン(全雌異質三倍体ニジニジブラ)とサケマス類の成分比較
信州サーモン以外は5訂増補日本食品分析表による。

4 生産・販売状況
 前述の結果をもとに2004年に「全雌異質三倍体ニジニジブラの種苗生産および養殖」として水産庁から要領に基づく確認を受けて、「信州サーモン」の愛称で種苗の供給を開始した。当初、長野県が立てた信州サーモンの生産目標は稚魚20万尾の供給で、年間150tの生産を目指すというものであった。種苗は、2004年に19養魚場へ約10万尾の供給からスタートし、2005年に15養魚場19万尾、2006年に19養魚場22万尾、2007年は30養魚場27万尾を供給している。養魚場からの出荷は、2005年秋から本格的に始まり、県の推計で2005年度38t、2006年度113tと順調に伸びている。
 販売に当たっては、ニジマス全雌三倍体の例を教訓に、輸入サケマス等との競合を避けるため、「信州サーモン」の愛称をつけて信州の特産として育てていくという方針で臨んだ。生産量が限られていることもあり、生産者は量販店等への大量出荷を狙わずに飲食店や宿泊施設を対象にして地道に売り込み、小口の注文にも対応する販売形態を整えてきた。また、県はポスターやリーフレットを作り生産者の販売促進用に提供するとともに、調理師会の研修会や食に関する各種イベントにサンプル提供することなどで、信州サーモンの知名度の向上を図り、生産者の支援に努めている。
 長野県の飲食店関係者には、信州サーモンの名前はかなり浸透してきており、取り扱っているお店等も県で把握しているだけでも230件を超えている。現在販売の主力は2005年に供給した稚魚から生産されたものであるが、10月時点での残りわずかとなっており、一部2006年稚魚からの出荷も始まっている状況なので、2007年度には目標の年間150t生産が達成できる見込みである。

5 今後の課題
 信州サーモンの生産・販売については、卵から稚魚までの生残率の向上等の技術的な課題も残されているが、販売面での定着を図っていくことがより重要と考えている。信州サーモンはこれまでのところ順調なスタートを切ったが、話題性に支えられている面も否めない。一過性のブームで終わらないようにするために、今後も品質面の管理を徹底して地域ブランド魚として育てていくことが最大の課題である。
 染色体操作技術の利用面からすると、引き続きニジマスとブラウントラウト以外の異質三倍体の可能性を検討しているが、信州サーモンを越えるような有望な候補は見つかっていない。一方、雌性発生技術により樹立したニジマスの系統中には、レンサ球菌症に強いなど優れた特性を持つ系統が見つかっている。しかし、養殖魚としてみると有用な形質のみでなく不利な形質も発現しているため、そのまま種苗として利用するのは難しい。そこで、雌性発生魚を解析素材としてマーカーアシスト選抜等により、有用系統の育種に活かしていく方向を模索している。

参考文献
 1) 小野里坦:魚の雌性・雄性発生とその応用.細胞工学,3,643-650(1984)
 2) 傳田郁夫ら:ニジマス四倍体の再生産試験.平成4年度長野県水産試験場事報,3(1992)
 3) 荒井克俊:異質三倍体.水産増殖と染色体操作,恒星社厚生閣,82-94(1989)
 4) Suzuki,R.et al.: Survival potential of F1 hybrids among salmonid fishes. Bull. Freshw. Fish. Res. Lab.,21,69-83 (1971)
 5) Suzuki,R.et al.:Growth and survival of F1 hybrids among salmonid fishes. Bull. Freshw. Fish. Res. Lab.,21,117-138(1971)
 6) 岡田鳳二:ニジマスの人為的性統御に関する研究.北海道立水産孵化場研報,40,1-49(1985)
 7) 傳田郁夫:ブラウントラウト性転換雄の作出.平成13年度長野県水産試験場事報,3(2003)
 8) 沢本良宏ら:ニジマス四倍体との交雑による異質三倍体の作出.長野県水産試験場研報,7,1-9(2005)

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