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更新日:2023年1月31日

東筑摩郡生坂村大字北陸郷字大倉地区

陸郷村明細全図(一部:1885年(明治18年))

概要

倉(クラ)という地名は、岩が露出する崖や、斜面崩壊を意味することが多いです。ここでは東筑摩郡生坂村の地すべり地「大倉地区」を紹介します。明治の町村地図では「大倉」のほか、付近に「大岩」、「イワクラ山」の地名が見られます。

生坂村役場の犀川対岸には、比高約200m、幅約2kmの長大な急斜面が壁のように連続しています。地質は新第三紀中新世の泥岩や砂岩から構成され、付近を通る犀川断層により、変形を受けています。

この斜面では古くからたびたび地すべり(”大ぬけだみ”)による被害があり、50年に一度は発生すると言われています。江戸時代には5回あり、大倉のあんば沢の畑はじわじわと何年も抜けました。1984年(昭和59年)、舟渡の上(宮の下)が大ぬけだみ。その後5回ありました。1985年(昭和60年)の台風6号豪雨の際に、大蔵地籍では山頂から犀川までの5haの大規模な地すべりが発生しました。1987年(昭和62年)、88年(同63年)には大岩の石川氏宅に土砂が入り、1988年(昭和63年)、1989年(平成元年)と犀川斜面にはときどき発生しました。大倉地区の斜面整形箇所では、度重なる地すべり災害で、今では全戸が移転しています。(生坂村誌編纂委員会編(1977)生坂村誌歴史・民族編)。

本地域では、「宮ノ平」(1959年(昭和34年)指定)、「大倉」(1962年(昭和37年)指定)、「菖蒲」(1978年(昭和53年)指定)の各地すべり防止区域が指定されています。大倉地域では、対策工は抑制工として排土工、斜面整形工、吹付法枠工、地下水排除工(横ボーリング工)、地表水排除工(水路工)等、抑止工として杭工、アンカー工が施工されています。

頭部排土工により平坦地となった尾根や、抑え盛土工が行われた末端部の緩斜面は、生坂スカイスポーツ公園として整備され利用されています。

関係図面

地形図(地すべり防止区域) 地質図
 
空中写真  

現地状況写真

伝承

大岩

大岩の岩本氏の家の前に、丸い大きな岩がある。昔、八坂村の満仲と大岩とに鬼が住んでいた。あるとき、満仲の鬼が大岩の鬼に、おれの投げる岩を受け取れるかといった。大岩の鬼は、よし受け取るから投げてみろと言った。そこで満仲の鬼が丸い岩を投げると、大岩の鬼は見事に受け取った。それがこの岩で、大きな手の形がついている。大岩の地名もこの岩からつけられたという。(昭和4年・曽根原秀吉)

(出典:生坂村誌編纂委員会編(1977)生坂村誌歴史・民族編)

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