ホーム > 社会基盤 > 砂防 > 過去の災害に学ぶページ > 松本市内田
ここから本文です。
更新日:2022年1月14日
牛伏川(うしぶせがわ:「ごふくがわ」または「牛伏寺川:ごふくじがわ」ともよばれる)は、松本市の南東に位置する鉢伏山(1,670m)を源頭とする流路9kmの信濃川水系の一級河川です。牛伏川は江戸時代だけでも20件ほどの水害記録がある水害多発地となっていました。一帯の地質は、第三世紀中新世の深成岩類が主体の中粒石英閃緑岩でできていて風化が進みやすい岩質であったことや、人為的な刈り取りや伐採で、牛伏川の後背地が禿げ山となっていったことも洪水多発の原因と思われ、この流域は砂防指定地に指定されている他、土石流危険渓流にも指定されています。
多発する水害に対して明治時代になってからは国(内務省)の直轄工事の対象となり、流域のほぼ半分の地域で対策が打たれました(流域面積5.6km2に対して2.6km2が砂防施設)。この工事の最終段階が「フランス式階段工」と呼ばれ、内務省からフランスに派遣された池田圓男技師が持ち帰った技術で、工事は大正7年に完成しました。そこまでに施された水害防止のための対策としては、土砂流失防止工事として石積堤・根止石積が、河床及び河岸安定工事として利水工・護岸工・水路張石工が、山地崩壊防止工事谷止工として水抜工・積苗工があり、これらのおかげで水勢を弱めるとともに水流をスムーズに流すことができるようになって、現在も土砂流出防止の役目を果たし続けています。さらに昭和になってからは、牛伏寺ダムも完成し、流域に「いこいの広場」など親水施設も追加され、平成14年には国の登録有形文化財に登録され、平成24年には「牛伏川本流水路(牛伏川階段工)」の名称で重要文化財に登録されました。
地形図 |
地質図 |
空中写真 |
慶応4年5月、雨が降り続き、牛伏川が決壊しました。切れ口へ村民が駆け付けましたが、手の施しようがありませんでした。各村からは牛枠用の用材の切り出しや下げ渡しの願いが出され、26本、426本、47本、100本と次々に切り出されました。とにかく切れ口を留めることが求められ、枠木を組んで、これを留めました。雨が続いたために、破堤から24日かかっています。天候が回復すると、陣屋は村の名主に対し定めの人数をつれて、大崩れ箇所の修復をおこなうように段取りをし、作業にかかりました。枠木を埋め込んでそこに掘り上げた土砂をいれていきました。この時は3日で延べ275人の農民が動員されました。これは百瀬陣屋が治める村々の家数248軒から一人が出ていた勘定になります。自分の生活の場を守るためとはいいながら、農民たちにとっては大きな負担だったと思われます。(引用:平成30年10月19日牛伏川階段工完成百周年記念シンポジウム重要文化財として評価された牛伏川本流水路(牛伏川階段工)松本市文化財審議委員後藤芳孝)
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください