ここから本文です。
更新日:2017年4月1日
「生徒指導は技術ではなく、子どもの心に寄り添うことから始まるということがわかった。」
これは今年2月の地区別生徒指導事例研究協議会に参加されたある先生の感想です。
子どもは先生から寄せられる信頼と期待によって成長する存在であるとも言われています。
そのような生徒指導をねがって本号を編集しました。ご活用を期待します。
平成3年8月26日 長野県教育委員会 生徒指導幹
私達教師は、児童生徒によりよい成長を願い日々かかわっています。教師の児童生徒観、理解のあり方は、児童生徒への願いや指導の方向、方法を決める際のもとになる重要なものです。教師の生徒理解にもとづく児童生徒へのかかわり方は、学校に寄せる児童生徒や家庭、地域の信頼感に大きく影響するものです。
以下どのように生徒理解をし、児童生徒にかかわったらよいかを具体的に述べていきます。
教師の基本的なありかたについては、乳児に対する母親の応対に学ぶものが多いと思います。母親は体温計を使う前に子どもの全体の様子を見て、我が子の心身の状態を全体的、直感的に察知します。
そこでは、母親が子どもに没頭し、身体全体で子どもに愛情を感じています。いわば共感の前提に、愛情、配慮が存在しています。
教師の方に、子どもに対するこのようなあり方がなければ、聴くことや共感は成立しないのではないでしょうか。このように生徒理解にあたっては、まず児童生徒に対する教師の肯定的な姿勢・態度が必要です。
児童生徒が成人して、教えを受けた教師について思い出すことは、教科の教え方よりも、一緒になって喜んでくれたこと、悩み・相談にのってくれたことではないでしょうか。
児童生徒は、教師の指導内容や方法に反応するよりも、むしろ教師の人間性に反応するものです。この教師の人間性とは児童生徒の立場から言えば、彼らがどんな気持ちでいるのか、何を願い、どんなことに悩んでいるのかと児童生徒の心の状態に絶えず関心を寄せ親身になって支えていく、児童生徒の心を大切にする教師であることを意味します。
ある児童が真剣になって自分で作り上げてきた模型作品を見た教師が、「もっと本気になって作ればいいのに」と言ったところ、この言葉にショックを受けた児童が家へ帰って泣きながら親に訴えた例があります。
「何をぐずぐずしているの」「まだわからないの」等の教師の一言が、児童生徒の心を深く傷つけているのだという自覚をもちたいものです。
したがって、教師の言動がその児童生徒にどんなことを感じさせ、その子の心にどう響いているかを敏感に受けとめなければなりません。
喫煙、暴力を繰り返し、指導を続けてもなかなか改善されないある生徒を呼んだ担任は、この生徒と同じような境遇にあった過去の経験を語ったとき、彼は今までのふてくされていた態度を改め、ワッと泣き伏し自分の切ない気持ちを語り始めました。
この生徒は「自分のつらい気持ちのわかる先生」とこのとき感じ、自分の心を開き担任と人間的なつながりが生まれ、担任の指導が生徒の心に届くようになったのです。
教師は、このような生徒に対して「問題行動をおこした子」と見てしまう前に、そうせざるを得なかった「その子のあるがままの気持ち」をまず受け入れるべきです。
児童生徒が悲しい思いをしているとき、先ず一緒に悲しめる教師でありたいものです。児童生徒は、自分の気持ちのわかってくれる教師を何よりも求めているのです。
私達は、大人の常識や、教材内容を物差しにして例えば、進んであいさつする子しない子、分数のわかる子わからない子と言うように児童生徒を外側から測定して、その子を理解したと思っていることはないでしょうか。このような見方では、児童生徒の心の内は理解できにくいものです。
「その子は、どのようにして自分を成り立たせようとしているのか」「どのような気持ちや願いでそうしたのか」とその子に寄り添い、その子の感情や願い、その言動においている意味あいをくみとろうと努めることによって、はじめて共感し合える人間関係ができ心が通じ合い、その子への援助の手がかりを得ることができるものです。
児童生徒は問題行動によってだけではなく、沈んだ表情をし、教師の視線を避け、保健室へ頻繁に行き、遅刻・早退・欠席をする等によって様々なサインを出しています。教師はこのようなサインを見逃さず鋭敏に感じとり、児童生徒の心の内をくみ取り、苦悩を共有しあたたかく援助していかなければなりません。
このために教師は、個々の児童生徒の心の安定しているときの具体的な姿をつかんでいて、わずかな変化でも見逃さず把握していく必要があります。
「自分は先生や友人から好かれているようだ」と思っている児童生徒の方が、「嫌われている」と思っている児童生徒よりも、勉強や係の仕事に集中していることが明らかにされています。このことからも、児童生徒の成長には周囲の人々との肯定的な人間関係が必要であることがわかります。
「教師は子どもに、あるべき姿を示すことはできるが、その姿にさせることはできない、その姿になるのは子ども自身である」と言われるように、教師と児童生徒との人間関係の基本は指示・命令の関係ではなく援助関係です。
教師は、児童生徒に心理的なかかわりを積極的にもって、彼らが自ら問題や悩みを解決し、よりよく自己の可能性を発揮していけるように援助していくことが大切です。
人間は困難な事を自分から取り組んでやり遂げたときに、成就感や承認欲求が満たされ、自信や勇気を生み、さらに道を切り開いていくことができます。困難に直面した時、親や教師があたたかく支えてくれ「私をわかってくれている」と思えると、意欲的になり積極的に問題に取り組めるものです。
目の前の児童生徒の気持ちを教師自身の心の中に感情移入するかのようにあたたかく受け入れ、彼らの立場に立って同行していく関係を維持していくことが援助活動であり、児童生徒の成長にかかわれる教師の資質と言えます。
一つの山が見る角度によって異なる姿を現すように、個々の児童生徒も見方によって異なる姿を見せます。あたたかな目でみれば元気のよい子でも、冷たい批判の目でみれば粗暴な子と映るでしょう。
全ての児童生徒は、何らかの長所を必ずもっています。問題行動を起こす児童生徒は、その問題行動の傾向だけが目立ってしまいがちですが、よく観察すればその児童生徒なりのよさをもっていることに気づくものです。
このよさを学校生活の中で生かしたり伸ばしたりできるように十分配慮すべきです。生徒指導を進めるにあたって、まず児童生徒の長所を見つけることが大切であり、その長所を認め伸ばす観点から指導助言することが大切です。
登校拒否は、誤った先入観によって甘えや怠けが原因だとされてしまうことがあります。子どもがやっとの思いで登校してくると「そのように、学校へ来られるんだから、次から遅刻しないように来なさい」などと不用意に言ってしまう場合があります。
登校拒否について遅刻や欠席を判断の基準にして理解しようとしたり、登校しさえすればよいという表面上の解決を求めたりする気持ちがその子へ説教時には叱責となってあらわれ、登校拒否を一層悪化させる結果を招いてしまうことがあります。
教師は、児童生徒の表面上の現象にのみ目を向けていると、生徒の心の内にある、苦悩や願いを見失ってしまいます。
教師の誤った理解や独善的な理解からは適切な指導は生まれません。できるだけ客観的な資料を多面的に得る努力をする必要があります。このために調査、検査、観察、児童生徒自身の記録など各種の資料を用います。
しかし、このような情報は児童生徒の人格の一断面を示したものであり、しかもある調査、検査に対する反応であるという限界をわきまえた上で活用しなければなりません。
このような情報は、個々の教師によって意味づけされ、現実の指導に生かされてはじめて意義あるものになるのです。教師は、児童生徒との日常のかかわりにおいて、教師自身の目で見つめることが何よりも大切であり、検査等はそのような観察の結果を補うものです。
児童生徒は、教師の言っていることがどこまで信用できるのか、どの位本気で話しているのかなどと教師の心を敏感に読み取ることがあります。
まして、教師の言行不一致は、児童生徒の教師に対する信頼感を大きく損ねてしまいます。
「後ろ姿で指導する」といいますが、大切なのは教師自身が自らに厳しく生きている姿であり、教師自らの変容に真剣に努力することです。
児童生徒から信頼される教師になるためには、常に児童生徒に働きかけ、期待し実行を迫るという面も必要です。
教師が児童生徒に願いをかけ期待し励ますことは大切であり、児童生徒にやる気をおこさせ、彼らが自己の可能性を発揮していくことにつながります。
教師自身が何をどう期待したいのか、その問題をどの場面でどうしたいのかという教師の願いを児童生徒にはっきり示すことも必要です。
児童生徒に期待し実行を迫るということは、教師自身が自らに厳しい要求を突きつけることを意味します。
教師が自分でもできそうもないことを児童生徒に要求し、指示や命令だけで彼らを動かそうとしても、児童生徒はついてきません。
児童生徒が示す欠点や人間的弱さを教師が自分自身の中に見い出し、その人間的な弱さを子どもと共に努力して克服していこうとする教師の姿勢が生徒指導では大切です。
A先生は転任してすぐ小4の学級担任になりました。4月、始業式の朝から、昇降口に立って登校してくる子どもたちを迎え、子どもたちと次々に握手をしました。
A先生のねらいは早く子どもたちとなれようということと、子どもたちの健康状態をチェックしようということでした。
初めのうちは「おはよう」といって差し出す先生の手に、かえって手を引っ込めてしまう子どももいました。先生は子どものようすによって「タッチ」と言って手をたたき合わせるだけだったり、ジャンケンをしたり、低学年の子どもにはブランコのようにして手を握り締めるなど子どもが喜びそうな方法を工夫して迎えました。
一週間がたつ頃になると、子どもたちは先生に先を争って近づこうとするようになりました。
学級の子どもの中には、先生が昇降口に立つ前に登校し校舎に入ってしまっていた子や遅刻気味に登校してくる子もいましたが、三週目位になると先生が立っている7時50分から8時10分頃の間に全員が登校するようになりました。
先生は子どもたちと毎朝このように言葉を交わしながら握手をしているうちに、しだいに子ども一人一人の手の感触が違うということ、また同じ子どもの手でもその日によって感触が違うということが感じられるようになりました。また、声の響きや顔、目の輝きとともにその子の今日一日がどんな一日になりそうか見当がつくような気がしてきました。
この事例から学ぶこと
いじめられそうな子、登校拒否に陥りそうな子等さまざまな子どもがいますが、一人一人の子への指導目標を明らかにしあたたかく援助していきたいものです。一人一人の子にその日、どのようにかかわっていったらいいか考えておきたいものです。
B先生ははじめて小4の学級担任をすることになりました。B先生はなかなか子どもたちが自分になじんでくれず、子どもたちが自分をどのように思っているか気がかりでした。そこで、夏休みに「担任の先生」という宿題を出しました。
休み明け、B先生は毎朝子どもたちの書いてくれた詩や絵を眺めては教室に行きました。
「先生はやだ。ぼくをおこるとき、ぼくの目をじっと見ます。(略)だけど先生はいつもしゃがんでいるので、どこを見ればいいか困ってしまいます。」
この子は落ち着きがなく、他の子にいつも余計な手出しをして迷惑をかけている子でした。先生はよく注意するのですが効き目がなく、どのように指導したらいいか困っていた子です。その子は「ほかの男子がC子の毛(長い髪をした子)をいたずらしても、『やめてよ』というだけだけど、ぼくがひっぱったりすると、すぐ『先生』て言ってまたぼくだけがおこられます。」と日記に書いてきました。
先生は、D男が彼だけが特におこられ、そのおこる自分を嫌がっていること、またC子に関心があるのだが嫌われていると思っていることを知りました。
さらに、先生はD男の詩を読んでいるうちに、D男の家だけが違った方向にあり、近所に同年代の子がいないので、学校の行き帰りは一人になってしまい、友達が欲しくて一生懸命働きかけているのかも知れないと気づきました。
学級のなかのC子と男子とのかかわりを注視していると、確かにD男が言うとおりで、他の男子がからかったりいたずらしても平気でいるのに、D男が近づいただけで身構え、話しかけたりしてかかわりをもとうとすると悲鳴をあげていました。先生はそのようすを見ながら、自分もD男は困り者だと思い込んでいたのではないかと反省し、D男をもっと深く見つめる必要を感じました。また、D男に対するC子の感じ方は多かれ少なかれ他の子にもあるものではないだろうか、もしもD男を嫌がる気持ちが学級のなかに固定化してしまったら大変だと思いました。
先生はとりあえず、学級内でのD男と他の子とのかかわりを観察することと、D男となるべく行動を一緒にしてみようと考えました。
先生は、土曜日に下校するD男と一緒に山腹にあるD男の家の近くまで行ってみました。一回目はうちとけないままほとんど無言でしたが、2回目のときD男はカブト虫や茸のことなどの話をし先生も楽しくなりました。
2回目に同行した次の月曜日、D男は「また行こうよ、蜂の巣を知ってるよ」と声をかけてきました。そのとき先生はD男とよい関係がもてることを確信しました。
この事例に学ぶこと
先生のD男への思いやかかわり方が変わればD男が変わっていくのです。D男が変われば学級の子どもたちのD男への見方が変わり、C子も変わっていくことでしょう。学級全体を変えていこうとしたとき、学級の一人一人を変えていくことが大切です。
ある時はツッパルが、ツッパラナイ時がある
ある人にはツッパルが、ツッパラナイ人もある
あるところではツッパルが、ツッパラナイところもある
なぜであるか、その意味をよく考えてみたい。
中1の夏、突如と言ってよいほど急変したF子、怠学傾向を示し、服装、髪形が急に派手になりました。それまで特に目立つことがなかっただけに、すぐ生徒間でうわさになりました。担任としては気になっていましたが、しばらく様子を見ながら、指導の機会をうかがっていました。
秋になって全校が文化祭に熱中している頃、遅刻が常習となっていたF子に、ある日担任は「何回言われたら分かるんだ」と今までになく少し強く出ました。するとF子は顔色が変わって、不満と反感の態度で聞き入れようとしなかったので、「どうしてなの」と優しく問いただしました。突然興奮して「来たくないから遅れるの」と言い捨て、担任の制止に「何するのよ」と凄み、振り切って帰ってしまいました。すぐに後を追ったが行方知れず、その夜は学年で手分けして捜したが見つかりませんでした。
次の日、なにくわぬ顔をして遅れて登校してきました。聞こうか聞くまいかためらいもありましたが、「昨夜はどこへ行ってたの」ときりだしました。その時のF子の様子は、また興奮が高まるだけで、ガンとして口を開きませんでした。相当疲れているようなので、「悩める年頃なんだな」とつぶやいただけで話しをやめにしました。心配している母親の元へ連れて帰り、「今日は何も聞かないで休ませて欲しい」旨を伝え、「また明日元気でな」とだけ言って帰りました。その夜は、中退した少年のバイクの後ろに乗り、コンビニエンス・ストアーに現れたとの情報を後で得ました。
本人はひとりで、父親は留守がち、母親は少々派手、これまで特に問題はありませんでした。塾も嫌がらず行き、ピアノの稽古も熱心で手のかからない子でした。両親が留守がちな家庭環境の中でやがて長電話、深夜テレビ、タバコ、万引、異性交遊をするようになりました。バイクを盗み、直結して乗り回し補導され周りの者を驚かせました。少年から教わったと言うことでした。
あらゆる手を尽くしても、なかなか変わらないF子に長い指導の時間を要しました。バイク盗の時点で、F子だけのケース会議を発足させました。彼女の教科担任、部活担当者で組織して、F子の学校生活、家庭生活について改めて考え直すことにしました。
その中で
2についての指導上の問題点
伴奏者としての練習が開始されても、様々な問題が出て軌道に乗りません。好転しないまま時間がたちました。その間担任、養護教諭、音楽教諭を中心にそれぞれの役割を確認しながら、粘り強く、F子に寄り添い励まし続けました。本番で失敗が多く沈んでいるF子に、成し遂げた努力を認めほめました。
その後「あの先輩普通の人にもどったね、信じられない」と後輩から言われるようになりました。3学期には音楽を生かした職業につきたいと言い出し、真剣に進路の相談をするまでに成長してきました。
「H男はいくら言ってもタバコは止められないし、学校で問題を起こしたなら退学でも何でも命じてくださいな。学校に行って話し合ったところでH男が良くなると思ってないしね。家に来て頂かなくとも結構です。私の勤めも不定期ですからねー」これが2年生の4月、クラス替えでI教師の組に入ったH男の母親の電話口での応対でした。1年の時から学年会で話題になり、家庭を含めた指導が必要と指摘されていた生徒でした。
I教師はまず家庭の理解・協力を得ようとしました。旧担任が転勤していたので「生徒カード」を読みました。母子家庭・学校へは非協力的であるといったことがわかりました。友人関係も少し分かりました。そこでI教師はH男の問題行動や生活態度について話し合うのでなく次の3点で話し合いたいと依頼し、母親の勤務時間の都合に合わせて面談しました。
「生徒カード」では知りえないことを担任は理解できました。それは、
「このことで彼に与えた心の傷が大きいので、彼との話し合いの中では決してこれには触れないで欲しい」と母親は担任に何回も繰り返して言い残しました。彼が心を開いて話してくれる糸口は“ここにありそうだ”とI教師は思いましたが、この問題には触れずに彼と話すという母親との約束を守って、彼と話し合うことにしました。
反抗的態度の彼の口は重く閉ざされていましたが、父のことに触れてから少し心を開いてくれました。
等を話してくれました。早速、学年会に報告し学年全体での理解を求めました。
2年生の秋は広島・京都の修学旅行です。H男は京都で夜間の無断外出と煙草の所持から一日だけ自由行動日の外出を禁止されました。彼は楽しみを奪われた無念な気待ちに沈んでいました。
その日、I教師は独断実行の責任は負う覚悟で彼を連れて清水寺と八坂神社に行きました。清水寺では30分の自由時間も与えました。帰校しての文集で彼は最後の一行にこう書きました。「……そしてI教師について考えたがそのことは書かない。今日の出来事で、やさしさ、に出会えたようでなんとなく嬉しかった」
進路指導の詰めの時期に校内で喫煙事件(煙草の吸い殻が固まって落ちていた)が起き、生徒指導委員会から全校生徒へ、≪正直な申し出に期待する≫との呼び掛けがありました。
三日経ちました。四日目にH男から「俺だ」とI教師は打ち明けられました。この事件の家庭訪問では、母親との話し合いを何回ももつことができました。母親の子どもへの愛情、子どもから母親へ寄せる愛情を強く感じました。
今、彼は浪人中です。I教師へは卒業後の便りは一度もありません。けれども彼の毎日の生活と頑張りをI教師は信じ、期待しています。
生徒の本音を引き出せる教師、聞き出せるきっかけや話そうとする生徒のサインを見落とさない教師になる努力を今日もI教師は怠りません。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください