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更新日:2017年4月1日
平成14年3月20日 長野県教育委員会
Aは運動会の役決めでどの役にも立候補した。立候補するが、その役割の自覚がなく途中でふざけてしまうため、落選し続けていた。
しかし、「閉会の言葉」の係を決めていた時、クラスの子どもの大半がAに賛成した。教師の目には、他の子どもの方が役割に責任を持ち、そのことを達成しようと真剣にやっているように見えたため、この決め方に不安を感じた。
手を挙げた子どもたちも何となく「A、面白い事をしているからここらでやらせちゃえ」という表情も見て取れた。
そこで、「どうしてAがいいの、ふざけているよ」と聞いてみた。子どもたちは困った顔をした。中には「Aはふざけているけれど、やろうとしているから」とか「ずっとだめだなんて、かわいそう」という子どももいる。
同じ立候補者は、先生の言うとおり、私の方が「いい」という顔をしている。
Aに手を挙げなかった子どもたちも、困った顔をしている。
「このままやらせればAを傷つけずに済む。取り組む中で自覚し責任を持っていけば自信になっていくだろう。」
「この役だけに立候補して、真剣にとらえている子どものことも大切にしたい」
教師は「Aでいいの?」と問いかけてはみたものの、迷いが生じていた。
「もう一度手を挙げたほうがいい」という子どもの意見もあり、やり直しとなった。Aは、選ばれなかった。Aは悲しそうな顔をした。
しかし、整列係の役決めになると、Aはふざけることなく、皆に自分の真剣な姿をみせていた。クラスの全員の子どもがAに手を挙げて、この役はAに決まった。Aの思いを知り、Aを認める子どもたちの気持ちや、心を配る子どもたちの気持ちが伝わってきた。教師は、思わず「しっかりやって、よかったね」と声をかけた。Aは満足げな嬉しい顔をした。
運動会まで、Aは他の2名と共に、白組の責任をもって毎日、列を並べてくれた。運動会の日も、旗持ちの後に白組を引き連れて、明るい自信に満ちた顔をして堂々と歩いていた。
今までとかく教師が中心となって企画が進められがちであった運動会を、子ども自身を育てていく場となるようにしたいと考え、運動会のあり方を先生方全員で問い直し、新しい運動会を施行した。
子どもたちが様々な形で企画や運営に参画すること、種目の設定や練習の進め方に子ども自身がつくりあげていると実感できる工夫をすること、地域の方や保護者が参加している趣旨を生かすこと、友と共に運動する楽しさを実感できる機会とすることを基本方針として取り組みを開始した。
運動会の当日は、ラジオ体操をやめ、「はつらつ体育」から始めた。4月から体育集会の時間に行ってきた、学年ごとに子どもと教師の話し合いで工夫してつくった運動であり、楽しみつつ身体を動かすことができた。
Bは練習に出て来ない2年生を毎日誘いに行き、ポジションを空けないように気を使っていた。また走る順序や走る距離を考え、コーチをしていた。運動会の当日は「苦労したけど、今日は全員で走れたから良かった。」と満足し、一所懸命走った下級生に「頑張って走ったね」と声をかけていた。
組体操・校歌ダンスは、姉妹学級の中に個人ごとで「学校兄弟」の組み合わせを生かし、子どもがアイデアを出して、伸び伸びと楽しみ表現するものにつくり上げた。
午後は、「じゃんけんゲーム」「ゲートボール」「ディスク投げ」「オリエンテーリング」「親子騎馬戦」を、子どもと保護者と地域の方とが一緒に参加して楽しんだ。子どもと教師の企画と運営により、歓声が学校中に聞こえた。
これらの新しい試みの中で自分の良さや、仲間と共に活動する楽しさを感じたり、創り上げていく楽しさを感じたりするなど、子どもたちは、「運動会の練習も楽しかった。運動会も去年よりずっと楽しかった。」と語った。
Cは作文で、「最後の運動会だった。しっかりやったこともあるけれど、今年初めてのこともいっぱいで、自分たちで考えたりできたから、私たちがつくった運動会だと思った。いい所やがんばる姿が出せた。満足できた運動会だった。最高の運動会だった。」と書いていた。また、保護者からも「今まで以上に楽しかったです。」という声や「子どもたちの表情がとてもよく、満足げでした。」と言う声が寄せられた。
実施後、子どもの育ちの姿から運動会を見返し、一人ひとりにとって人間関係をつくる場となっていたかを点検することを始めている。
合唱コンクールで今年も優秀賞をとりたいという目標が決まって、1学期の半ばから練習が始まった。夏休みにも全員が集まり練習した。
2学期になり、朝と帰りの時間にも練習しようということになり、毎日歌っていた。しかし、毎日の繰り返しの中、しだいに惰性で歌う姿もみられるようになっていった。
コンクール前の合唱交歓会での評価はさんざんであった。二年連続して受賞していたことや、練習にいち早く取り組んできていただけに、落胆する生徒が多く出た。
真剣に取り組んできた女子と男子数名が感情的に言い争う場面が見られるようになり、互いを非難し合う毎日が続いた。
担任は、心を通じあわせる機会ととらえ、合唱も含めて、現在の学級の姿を考え合う時間をとった。
「残りの中学校生活をみんなで団結して過ごしていきたい。」と涙声で訴えたDに続いて、皆の思いが語られた。
「ぜひ賞をとりたい。そのためには、直すことを直して取り組んでいきたい。」
「給食当番や掃除など人任せになっている。合唱も同じ。普段の事ができないんだから合唱だって…。」
「授業中だって人の事を考えないで騒ぐ人がいる。そういったことも直さなくちゃいけない。」
「Eさん(不登校の生徒)が安心して戻って来られるクラスにしたい。今のように好き勝手なことをしていては安心して戻って来られない」
そこには、自らの今までの行動を振り返り、改善していきたいと、真剣な思いを語る姿があった。
以後の練習は、皆でつくり上げようとする合唱に変わっていった。Eへの働きかけにも成果が見られ、学級の皆と歌いたいと、コンクール前日の練習に参加した。
コンクールでは、クラスが一つにまとまったすばらしい発表ができた。歌い終わり教室に戻った生徒からは「これだけみんなでやってきたのだから賞をもらえなくてもいいじゃないか」と言う声が聞こえ、同意する話も出て満足感に浸る姿がみられた。そうした中、優秀賞という結果が伝えられた。本気で考え合い、心を揃えようと努力した合唱づくりが、学級の大きな財産となった。
ドンドンドン、パンパンパン、大太鼓とパクーラーという小太鼓の乾いた音が、体育館いっぱいに響く。ビンビンビン、三線の高い音色が、格技室から聞こえてくる。通りかかった生徒たちが、「何だろう?」と小窓を覗いては、うらやましそうな表情を見せる。
2学年の修学旅行が沖縄に決まり、その事前学習の一環として、沖縄の風土・文化・歴史、沖縄の食文化、沖縄物産店、そして、エイサー(踊りと三線)をクラスごとに分担し、文化祭に「沖縄展」として発表することになつた。
2組は何となくエイサーに決まったものの、「何で俺たちが」「人前に出るのははずかしいから嫌だ」と思っている者が多かった。男子は踊りで女子が三線をやり、開祭式で発表することに決まっていった。担任は、伝統文化の本物に触れて何かを得て欲しいと思い、沖縄から踊りを教えてくれる講師に来てもらうことにした。練習が始まると、「むずかしい」「本当に三曲も覚えられるのか」という声があちこちで聞こえた。
七月の暑さの中で、汗びっしょりになりながら、講師の先生は指導を続けた。繰り返し、繰り返し、踊りの手本を見せ、生徒がその動きを目と体で少しずつ自分のものにできるよう、真剣に踊る姿があった。
生徒は、講師の流れるような身体の動き、軽やかに指が奏でる優しい音色など、本物の迫力に触れるうちに、次第に目の輝きを見せるようになっていった。
休憩時間には、講師と生徒の間で踊りにまつわる話をしたり、沖縄の菓子を一緒に食べたりして、お互いに親密さが深まっていった。厳しい指導の中で、講師の「覚えが早い。いいぞ」という声を励みにクラスのみんなが熱中した3日間だった。
文化祭の当日、クラスのメンバーは一人も欠けることはなかった。
太鼓をたたきながら入場、エイサーが始まると、リズムに体が反応し、会場からも、手拍子やまねて踊る者も出てきた。次第に気持ちがひとつになっていった。2組の生徒が、講師から受けた感動を全校生徒に伝えることができた瞬間であった。
「エイサーをあきらめずやっていってよかった」
「最高に気持ちよかった」
「クラスがひとつになってやり遂げた。また何かに取り組んでみたい」
「熱心に教えてくれた講師に感謝している。また会いたい」
「沖縄への修学旅行がより楽しみになった」
生徒に達成感とその次への意欲、そして、講師への感謝の心がそこにあった。
学校では、集団生活のあり方が、その一員としての自覚と責任感を深め、社会性を育てる場として、その重要性を認識されているといってよいと思います。
とりわけ、学校行事は、その活動の過程において子どもの創造力を高め、人間形成に役立てることが出来る活動です。
その中でも、運動会や文化祭は華やかな雰囲気があり、学校における非日常的場面の代表的なものです。これらの行事は、長い歴史があり、学校では当然のごとく行われ、保護者や地域の住民はこれらを通して学校の様子を垣間見ることができました。つまり、これらの行事は見せるための要素を多く含んだ内容になっていました。そこでは、かかわっている人間の関係づくりのために行事を行うという視点は弱いものであったように思います。
現在、日本社会の少子化、集団遊びの欠如、生活の個室化に伴う人間関係を結ぶ能力のつたなさが子どもたちの様々な問題行動となって表れています。大人は意識して子どもに人間関係づくりの体験をさせなければならない時代に来ています。学校においても、大きい集団の人間関係を通して学ぶ活動や、集団でメンバーが相互に交流して気づきを得ていく活動の場としての機能を再認識し、子どもが考え創りあげることを大事にして、子どもとかかわりたいと思います。
ここには、幼稚園、小学校、中学校、高等学校と子どもの成長に伴うかかわりの例を載せましたが、これからの行事を人間関係づくりの場としてもとらえ直してみませんか。
「指導資料」は昭和53年から発行を続け、現在75号になりました。この間、時代の変化に対応した生徒指導に関わる指針や実践理論、実践事例などを掲載してきました。
今回、この「指導資料」の30号から74号までをホームページに掲載することになりました。発行順に検索するだけでなく、「いじめ」「学級づくり」「高校中退」等、キーワードで知りたい問題・課題を検索したり、テキストデータとして活用できるように工夫しました。
平成14年4月1日から公式供用を開始します。長野県総合教育センターのホームページからアクセスすることができます。是非、ご活用ください。
(注:平成15年度に、1号~29号を含めて、最新号までの全ての指導資料がデーターベース化されました。また教育委員会のホームページからもアクセスできるようになりました。)
幼児・児童生徒が示すさまざまな生徒指導上の問題や課題に対して、総合的、専門的に対策を検討し、学校・家庭・地域祉会等における児童生徒の健全育成に資することを目的に、年4回程度の会議をもち研究協議を進めています。
今年度はテーマ「子どもから学ぶ―具体的な事例を通して―」に沿って、三つの事例を中心に研究協議を進めました。
各事例の討議を通じ、幼児期における家庭教育の大切さが浮き彫りにされました。
また、部会は委員会の研究協議を受けて、具体的な作業を担当しています。今年度は3つの部会に分かれ、下記の作業を担当しました。
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