ここから本文です。
更新日:2017年4月1日
生徒指導のねらいは「自己指導力」の育成にあり、そのために、(1)子どもに「自己決定」の場を与えること、(2)「自己存在感」を与えること、(3)「共感的関係」を基盤にすること、が必要だといわれています。
県下の全ての学校で、このようなご指導が展開されることを期待します。
平成4年2月20日 長野県教育委員会 生徒指導幹
生徒指導は教育の重要な機能であり、すべての教育活動の中で機能すべきものです。そのためには、全教師による一致協力体制の確立が必要です。さらに、家庭はもとより、近隣の学校、関係諸機関、地域とも連携を密にして、より効果的に生徒指導を進めなければなりません。以下この生徒指導体制をどのようにして確立していったらよいかを述べていきます。
生徒指導に当たるものは、言うまでもなく教師ですが、教師にその人を得、その教師が指導しやすいような体制ができていることが、生徒指導の成果をあげるうえでの基本です。生徒指導体制とは、そのような教師の側における生徒指導を行うための構え一般を指すものです。
言い換えれば、生徒指導体制とは、生徒指導を行うために指導する側で用意する計画や組織、運営、教師の研修などの総体を意味します。問題行動が多発している学校の傾向として、次のようなことが指摘されます。
生徒指導は、学校の教育目標に即し、究極において児童生徒一人一人の人格のより望ましい発達を目指して行われます。
それぞれの指導領域や立場、役割などを通じて、学校の全教師の協力関係を確立し、生徒指導の機能が組織的に十分発揮されるように、次の点に配慮することが必要です。
学級担任は、生徒指導の直接的、継続的な推進者であり、実践者です。学級担任が生徒指導の原理をよくわきまえ、学級内の一人一人の児童生徒を適切に指導することができるならば、学校全体としての生徒指導は、立派な成果をあげることができるのです。
このためにも、あらかじめ全教師の共通理解のもとに、学級担任が行う生徒指導の具体的な内容を、明確にすることが大切です。
また、これらの学級担任の営みを援助し推進していく体制が確立していなければなりません。特に放課後のいわゆる部活動をはじめ種々の公務によって、学級担任と児童生徒が「ともに生活する時間」を確保し難い傾向にあるので、こうした問題について学校体制として配慮していくことが必要です。
児童生徒の学校生活の大半は、学級を中心とした各教科の学習によって成り立っています。 したがって、各教科の担任教師と児童生徒との望ましい人間関係のもとに、児童生徒一人一人が意欲的に学習に取り組んでいるか否かという問題は、当然学校生活への適応に関する問題にも結びついてきます。このためには、生徒指導の機能する教科指導が行われなければなりません。それとともに、学級担任と教科担任の緊密な連携・協力についても、その具体的なありかたが職員会、教科担任者会、学年会等で明確にされることが重要です。
教師が協力して生徒指導を進めるにあたって、教師間の信頼関係が成立していない、過剰なほどの縄張り意識があるなどの障がいがあってはなりません。これらを克服して生徒指導の充実を図るためには、生徒指導上の問題を解決し処理していく具体的な手順を全教師に明確に示しておく必要があります。不測の事態が発生した場合でも、あらかじめ確認されている手順にしたがって教師が相互に情報や意見交換をしながら、適切に指導できるように平素から協力体制を確立しておくことが必要です。
学校において、教師間の人間関係を信頼を基に円滑にしておくことは、生徒指導を進める上で極めて重要なことです。日頃から校内での事例研究会や研修会を通じて、教師が互いに意見を自由に交換し合い意思疎通を図ったり、共通課題に共同して取り組む等により人間関係を深める工夫を凝らすことが必要です。
教師にその資質が強く要請されるのは、教育が教師と児童生徒との人格的なふれ合いを基盤とするからです。
とりわけ生徒指導は、一人一人の児童生徒の人格を尊重し個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や行動を高め、人間としての生き方を指導・援助するものです。また、すべての教師がすべての児童生徒を対象に、その現実的生活に即しながら、具体的・実際的活動において展開されるものです。
したがって、生徒指導に当たる教師の人間性がさまざまな形で児童生徒の人間形成に影響することから、教師自身に豊かな人間性が求められます。さらに変化する社会環境を鋭く見つめ、それとともに変容している児童生徒の状況を的確に把握して指導するための知性と実践力が必要とされます。現実には、このような望ましい資質は、教師の絶えざる意欲的・積極的な研修によって培われ、積上げられていくものです。
子どもたちに囲まれたペスタロッチの姿に自分を重ね「教師たるものかくあるべし」と夢を抱いて赴任した学校は、全校で6学級、山あいの校舎に遅霜がキラキラと輝き、本当に綺麗でした。私の胸は喜びと期待ではちきれんばかりでした。5年生の担任になりました。
1学期は無事終わりました。夏休みの間に、今までを振り返って、子どもたちの行動記録や作品を整理して、私も十分にリフレッシュして2学期を迎えました。「元気な顔」と休み中の子どもたちの「成長ぶり」を想像しながら教室に行きました。Aさんの顔が見えません。
電話口のお母さんからは「ちょっと具合が」との連絡です。休む日は始業前に必ず連絡があったのにどうしたのかな、とは思いましたが、教頭と教務主任に報告するにとどめました。
次の日も登校しません。結局休み明けの最初の週の3日間は全部お休みでした。
私は土曜日の夜、家庭訪問に行きました。だがAさんは会ってくれません。ショックでした。お母さんとの面談からは「学校に行きたくない」と言っていることがわかりました。
どうして、どうすればよいのか、私には解決の方法が全くわかりません。日はどんどん経過します。焦りだけが残りました。夢が崩れそうで不安でした。
「登校拒否の指導」についての解説書を読み、登校刺激の是非や教育相談の方法、カウンセリングマインドなども勉強しました。先輩教師の経験談も伺いました。生育歴も分かりましたので、前の担任にも電話で相談し、原因を探りました。しかし、多くの解決策を試みてもAさんは登校しません。私は「もしかしたら、私の指導に原因が…」と不安と自責の念だけがつのり、どうしたらよいのかわかりません。
9月になって、校長先生からチームを組んで指導したら、という提案がありました。生徒指導委員会のない校内指導体制を見直しての提案でした。自信を失いかけていた私の心の負担を軽減し、Aさんを多角度から理解していこうとの意見でした。
チーム指導の最初の取り組みは家庭との話し合いでした。私の経験不足を補っていただきながら、父母との面談を始め、指導の手がかりが明らかにされていきました。特に、お母さんの悩みが浮き彫りになりました。お母さんはAさんが登校できないことで、私以上に悩んでいたのです。9月の終わりころから保健室登校が始まりました。養護教諭が保健室での行動や言葉が記録されているノートを作ってくれました。Aさんの考えや家での生活の様子が良く分かり、心の動きも分かりました。
保健室登校は毎日できるようになりました。
記録もたくさんになり、それをもとに定期的な指導検討会が持たれました。そこでは、私の疑問や悩み、希望までも取り上げていただきました。
などをとりあげていただけました。私にとって、自らも悩みを相談し多くの先生から教えを受けられる絶好の場となりました。
子どもたちを全校職員がかかわって指導する機運と体制が作られました。保健室登校のAさんへ指導のための校内協力が一段とすすみました。
晩秋になって私の自信は少し回復し、心の余裕も生まれてきました。初任者研修で、仲間も同じ悩みを抱えながら、頑張っていることも励みになりました。学級の子どもたちを「自分一人の責任で」と考えて頑張ることも時には必要だが、むしろいろいろな方の意見をお聞きして、指導の方向を決定することが大切なこととわかりました。子どもたちと信頼関係をつくることとともに、教師集団の和と、相互の信頼関係を築くことも、指導にとってはとても大切な要素であるんだと実感しました。
仲間が支えてくれるという安心感、安定感は、子どもたちにも教師にとっても毎日の生活で、非常に重要な基本になっていることを私は強く感じています。生徒指導の原点は、ここにもあるように思うこのごろです。
家庭では親に指示されたり、親の判断がなくては自ら行動できない生徒、また学校の指導を理解し行動に移すことができない生徒が多くなっています。また生徒の価値観が多様化すると同時に、行動の基準が“正しいかどうか”ではなく、その時の“感情”に左右される傾向があります。このような生徒に対しては、言葉だけによる指示や、力による指導では教師の願いが十分に通じないことが多くなりました。
都市部の大規模校において、数年前から生徒間暴力や教師に対する反抗、器物破壊等が頻発していました。教師は力で抑えようとする傾向を強め、生徒はますます反発するという悪循環が生まれていました。このような状況の中で教師は有効な手立てを打てない状態が続いていました。
従来のような力による指導を転換することが急務と考えた学校長は、職員会の度に自ら資料を準備し、望ましい生徒指導のあり方について研修する時間を設定しました。学校長が目指した方向は、カウンセリングマインドに徹した指導姿勢でした。
新年度の発足にあたり、生徒指導係として次の基本方針を立てました。
生徒指導係は問題行動発生のあるなしにかかわらず、生徒指導に関する職員間の共通理解を図るため、職員会で意見交換や情報交換の時間を30分確保しました。その結果、生徒指導係の指導方針やねらいが全職員に理解され、さらに各学年の指導に生かされることになりました。
今まで学級の問題は担任一人で解決しようとする傾向が強く、負担が過重になったり初期対応に遅れることがありました。新学年の発足にあたり、学年会のあり方を見直し協力体制を確立する必要があると考えました。そのため次の方針を立てました。
学年主任や生徒指導主事は担任の相談相手になり悩みの解消に努めました。事故発生時には協力して事実確認をするばかりでなく、他の担任も終了まで待機し初期の対応をすることが習慣となりました。
このような雰囲気の中で時間を気にせず話し合い、学年教職員の力を結集し学年集団としての力量を次第に高めることができました。
怠学傾向や登校拒否の生徒が増加するなかで、養護教諭の果たす役割が大きくなっています。次のような基本的な態度で接しています。
時には乱暴な言葉をはいたり不満を言いながらも指導に従っている生徒がたくさんいます。担任や学年の教師は養護教諭からのさまざまな情報により、生徒の状況を把握し早期に対応することができるようになりました。
生徒理解を深め心が通じる指導をめざして、青少年の補導にかかわる方や、カウンセリングの専門家を招いて研修を重ねることにより、教師の指導力の向上をめざしました。
指導にあたる生徒指導係は受容的な態度で接し、学習の援助を続けるうちに、次第に教室復帰ができる生徒が出てきました。
このような指導を続けて2ケ月、理科準備室を利用していた生徒の大部分が授業に復帰できるようになりました。
C男(高2)は、かつての遊び仲間であったD男が最近生意気なので、注意するのだと部室へ呼び出しました。その場には仲間のB男他二名もいあわせ口論の末、殴り合いになりました。C男は止めようと思ったが一瞬のできごとでした。D男は帰宅してから、脇腹が痛んだが、両親には何も言わず、次の日から休んでいました。この件は外部の情報から明るみになりました。
両親健在、祖父母が家の実権を握っており、孫たちを溺愛していました。父親は寡黙、子どもへの指導権は母親の方が握っており、父親は家庭訪問しても同席したり、発言したりすることはほとんどありませんでした。
この件は不明な点はありましたが、とりあえず、C男とB男他の三人を家庭で反省させるようにしました。C男は過去三回の問題行動で指導を受けていたので、「今度やったら、やめる」と仲間に語っていました。家庭反省が始まって間もなく、担任、母親、C男との話し合いの中で、初めのうちは学校の説明をよく聞いていた母親が「C男はただ呼び出しただけだ」と言い出しました。C男も「先に手を出したのはD男である」と言い張るようになりました。担任はなぜ反省しなければならないか、家庭訪問の度に説得に努めましたが、なかなか理解されず、不信感すらいだくようで、次第に担任との距離が離れていくのを感じました。
学校ではこの件について様々な検討がなされ、「思春期相談室」のプロジェクトチームで取り組むことになりました。
プロジェクトチームの職員は家庭やC男の了解のもとで家庭訪問したり、面接指導にたずさわりました。
C男は教室での学習は苦手だったが、実習科目にはある程度興味を示していました。チームの一員でもあったF教諭は、C男と気軽に話すことができました。C男はF教諭と相談室で過しました。授業はサボりがちで、欠課時数が多くなり、「これ以上休んだら大変だ」と言う指導を頻繁に受けていました。それが彼を異常にいらだたせていたかもしれません。
指導の中で、退学して働きたいと言い始めました。彼の希望する進路を実現するには、少なくとも高校程度の学力と卒業資格が必要だと自覚させることで、学校を続ける意欲を持ってくれることを願いました。
C男は今の自分の生活を改めていくことだと気づいてはいましたが、言い出せないでいました。F教諭は、彼の考えを否定せず、情報の提供を中心に援助し続け、できるかぎり質問や要望に応えてやり、気力が湧いてくることを、じっと粘り強く待ちました。
F教諭と担任との連携の中から外部の相談機関を紹介しました。C男はいやいやながらも母親と同行し、そこでは、バイクのことは「学校には絶対ばれない」と勇んでみせました。一方、気になっていたことは一緒にかかわったB男がすでに退学の意思を固めてしまったことです。間もなくC男のバイク無断取得が発覚し「バイクと学校のどちらを取るか」との問いに「バイク」だと、肩肘をはっていましたが気持ちが揺れ動いていたので、それ以上問いたださず説教めいた話しは避けました。
B男の退学はD男の告げ口のためだと勝手に思い込んでいたC男は、いけないと思いながらD男を呼び出してしまいました。登校を許されてから何日もたっていませんでした。担任としては諦めることはできませんでした。いちからの出直しでした。
しかし、親と本人は諦めてかけており、「これ以上学校に迷惑はかけられない」と言うのでした。それからの指導には素直でした。家庭での反省の状況も以前とは比べものにならない程よくやりました。後で分かったことですが、この時期に無断で乗り回していたバイクも事故で大破してしまい、C男の気掛りだったことが拭い去られたということです。これを契機にC男は変わりました。
C男は学校や教師に不満を持ち、つっぱっており、なかなか教師の話に耳を傾けることができませんでした。しかし、どんな生徒でも学校には必ず気持の通ずる教師がいることを改めて認識した事例でした。
担任一人で抱え込まないで、プロジェクトチームが援助したことで、C男を救う手立てになり、さらに担任のサポートにもなりました。この指導法が本人はもとより、保護者との間の意思疎通を促進したことも、好転する結果につながりました。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください