指導資料No.62 一人一人が支え合う学級を目指して
いじめや不登校の問題については、様々な角度から、その原因、背景、対策等論議されております。
大人が声高に論議を交わすその向こうを、重いかばんを背負った子どもが黙々と登校していく、そんな姿が思い浮かびます。
目の前にいる子どもたちを、今どうするか、という視点で、No.62をまとめました。
子どもに関わるそれぞれの立場で、ご活用いただきたいと思います。
平成8年8月20日 長野県教育員会
目次
- はじめに
- いじめや不登校の起きない互いに支え合う学級を目指して
- 事例1(小学校)「支え合える仲間づくり」
- 事例2(中学校)「子どもの今を見つめて」
- 事例3(高等学校)「学級集団の成長と共に」
はじめに
いじめの問題に関しては、平成6年11月の愛知県の中学2年生の自殺以来、全国で20人を越える尊い生命が失われている。
また、不登校の問題については、平成7年度の30日以上の不登校児童生徒(小・中計)が全国で81,562人となり、6年度より4,113人増加している。(平成8年度学校基本調査速報より)
このように、児童生徒を取り巻く状況は深刻を極めている。
1.いじめや不登校が起きない互いに支え合う学級を目指して
いじめや不登校の問題は、様々な要因が絡み発生していると思われるが、ここでは、主に、いじめや不登校が起きない「支え合う学級づくり」について、学級担任の指導に視点を当てて考えてみたい。
明るくユーモアのある教師でありたい。
- 学級の雰囲気は、担任の持つ雰囲気によって左右される面がある。
- 教学指導課が平成7年度に実施した「児童生徒の生活・学習意識実態調査」における「教わりたい先生」は「ユーモアがあって授業をあきさせない先生」が、小・中・高を通じてトップであった。
- 教師が、明るくはつらつとした姿で接することによって児童生徒の心も和らぎ、笑顔や笑い声が教室にあふれる。
- 教室全体が明るくなることが、全ての児童生徒にとって大きな安らぎとなり、人間関係も円滑になると思われる。
- 反対に、必要以上に緊張状態を強いたり、過度の厳しさがあったりすると、それから受けたストレスが、トラブルやいじめという形で現れたり、恐怖感から、不登校に陥ったりすることもある。
児童生徒の変化に敏感に気づき、誠意を尽くす教師でありたい。
- 顔色が優れない、沈んでいる、いつもの友達と一緒に行動していない、授業に遅れるなど、いつもと変わった様子が現れたときに、敏感に気づいて素早く対応することが必要である。
- 「元気ないね、大丈夫?」と、さり気なく声がけをしたり、生活記録等に心配している旨を書いて渡したり、場合によっては、帰宅したころを見はからって家庭訪問をしたり電話で話したりと、方法はその時の状態によるが、いずれにせよ、敏速に対応したい。
- 「一人で解決できない問題があるのなら、いつでも相談にのるよ」と、教師が受容的な姿勢を示すことが児童生徒を大いに安心させ、一人で悩むことから救うことにつながる。
児童生徒と共に歩む教師でありたい。
- もし、自分の学級にいじめの問題が起きたり、不登校が生じたりしたときは、その問題の解決を図ることが、学級全体の向上につながるような指導でありたい。
特に不登校の問題等は、その解決に、児童生徒の力を借りなければならない場合も多い。
- 問題の程度や状態によっては「こんなとき、どうしたらいいかな」とか「君ならどうする?」というように、積極的に児童生徒に問いかけ、共に問題解決に当たる姿勢で指導したい。
そうしていくことで、児童生徒と教師が同じ視点で物事を見られるようになる。
- 教師と児童生徒が共に考え、悩み、協力し合って主体的に取り組みながら学級を向上させていくことが、建設的で温かい人格を育むことにつながると思われる。
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2.事例1 支え合える仲間づくり
障がいのある人とのふれあいを通して(小6)
1.学級の実態
- 「みんなと変わっているのはいやだ」とか「勉強も運動もできなくて悲しい」というような意識が児童の中に根強くある。
- 本学級にも、食物アレルギーが強く給食が食べられない子、精神的に不安定でパニックを起こす子、集団になじめない子、学習が苦手な子、外国から来て言葉や習慣になかなかなじめない子、等々がいる。
- 子どもたちの中には、そのような状態を悩み、伸び伸び生活できないでいる子もいる。
- 学級が、そのような子どもの状態を理解して温かく支え合っているかと言えばそうでもない。
- 学級全体の子ども同士の結びつきが強いとは言えない状態である。
2.指導の概要
- 障がいのある人に対する理解を深めることを通して、いじめや差別をしない、互いの良さを発見しながら支え合って生きることができる学級になることを願った。
もし、ぼくが体の不自由な人だったらとても困ります。
足が不自由だと歩くのがつらいし、目が不自由だったら通りを歩くのも大変です。だから体が不自由にはなりたくないです。お店などでそういう人に会うと、たいへんだなとは思いますが、勇気がなくて、なかなか手をかそうという気持ちになれません。(A男)
不自由といっても、体のどこかが病気なだけであって、私とは「変わらないんだ」と思うのだけれど、何か私とは違う人のように思えて、違う目で見てしまっているところがあるかも知れません。
うまく発音できなくて苦しそうに声を出している人、車イスに乗っている人、目の不自由な人などを町の中などで見かけると、つい目がその人に向いてしまう。そして何か遠ざかってしまう。私は、そのような人達に対して変な壁を作ってしまっているように思います。(B子)
- 自分の気持ちを正直に書いているA男やB子に見られるように、程度の差こそあれ自分の中に、障がいのある人たちに対する狭い見方をしている子どもたちがいることが分かる。
- このような子どもたちに、実際に体の不自由な方とのふれあいの機会を設け、親しくなる過程を通して、見方、考え方を変えていきたいと考えた。
視覚障がいのあるCさんと出会って
市の社会福祉協議会に協力していただき、アイマスクの体験と視覚障がいのある方のお話を聞く機会が得られた。学校の近くで、マッサージ師をしているCさんから、
- 視覚障がいのある人はたくさんいること
- 目が不自由でも普通に生活ができること
- 目のかわりに耳や皮膚が敏感に働くこと
- 出会ったら気軽に声を掛けて手伝ってほしいこと
など、話していただいた。
今日、Cさんが来てくれました。話しかけられたらどうしようと思い、はじめは少し緊張しました。
でもアイマスクをして、目の見えない不便さを味わって、もし自分も目が不自由になったらどうなるか考えました。とても、まわりの人の助けがなくてはやっていけないと思いました。
いままでぼくは、目や体の不自由な人と出会っても、そういう人の身になって考えることができませんでした。
でも、今日の体験やCさんのお話で自分もそういう人の手伝いをしなければいけないと思いました。(A男)
- 「体の不自由な人にはなりたくない」「なかなか手を貸す気持ちになれない」と思っていたA男は、アイマスクの体験とCさんのお話を聞くことを通して、障がいのある人の立場に立って感じたり考えたりできるようになっていった。
障がいがありながら地域ボランティアに活躍するDさんと出会って
脳卒中で倒れ、体にマヒが残ってしまったDさんは、リハビリのため、駅のトイレの掃除を続けたり、そのほかにも積極的にボランティアに取り組んで来られた。
障がいがありながらもたくましく生きるDさんの生き方に触れることで、障がいのある人に対する理解を深める機会とした。Dさんは、次のように語ってくれた。
- はじめは健康体であっても、脳卒中等である日突然、体が不自由になることが多くある。
- そんなとき、自分を支えてくれたのは、家族や友達の励ましだった。
- 片手が動かないと、体の他の所がそれを補うようになる。
- 今ある自分に感謝をして、やれることをやりながら社会に尽くしたい。
子どもたちは、Dさんのこのような話を聞き、感動とともに理解を深めることができたと思う。
落ち込んでいる自分から脱出して市や福祉のためにやれることをやっているDさんはすごい。(E男)
障がいがある友達を支えている友達がいることも知った。ぼくもすなおにやさしさを出し合ってどんな人ともなかよくやっていきたい。(F男)
A男は、次のように新たな思いを持った
Dさんはすごい。自分のことは自分でやりながら明るく生活している。そればかりか、勇気を出して人のためにも尽くしている。ぼくは、体の不自由な人が「同じ人間だな。うんと強いな」と思いました。
いっしょにやっていきたいし学んでいきたいと思いました。(A男)
3.事例から学んだこと
- いじめや不登校の原因が、児童生徒の差別や偏見による場合がある。
- 「いろいろな人がいること、みんな大切な存在であること」等を、体験や障がいのある人の話を聞くことなどを通して学ばせ、児童生徒の意識や考え方を変えていくことが大切である。これは、小学校段階に指導したい。
- 児童生徒には、障がいのある人についての偏見を払拭することと、身近な友達との関わりの中にある無意識な差別等とを関連的に見ることができない場合がある。例えば、互いの名前の呼び方や、遊びの中で特定の子がいつも差別的な扱いを受ける、というようなことである。機会をとらえて、その都度きめ細かく指導することが大切である。
- 学級で指導したことは、必ず家庭に知らせ、同一の歩調で指導したい。
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3.事例2 子どもの今を見つめて
不登校から脱したG男(中3)
1.学級の実態(G男に関わって)
小学校以来、学級の中で思うように振る舞ってきたG男に、いじめられたり、怖がって言いなりになったりする生徒が目立ち、学級内に序列ができていた。
ある日、度重なるG男の横暴な振る舞いにたまり兼ねた生徒たちが、一斉に態度を硬化させた。
それをきっかけにG男は孤立し、1年の5月から不登校に陥ってしまった。
2.指導の概要
- G男の状況
- 家では、「喫煙、飲酒、家庭内暴力」を繰り返す。特に、父親が「不登校になったのは育て方が悪いから」と、母親を責めた後の「家庭内暴力」はひどかった。
- 母親から「助けてください」と、連絡をもらうことも度々。
- 茶髪、服装違反など、「厚い仮面」を付け、相談室登校ができるようになる。(2年2学期)
- 登校途中や登校後に「相談室」から抜け出しての「喫煙」が目立つ日々。
- 次第に喫煙や服装違反がなくなり、学級へ行くようになる。(3年2学期)
- 指導の経緯
- 最低週1回はG男とのふれあいを
最低、週に1回は家庭訪問するよう心がけたが、状況を判断し、決して無理をしないようにした。
会えないときは、家人にメッセージを託し、間接的な方法であっても、担任の思いが伝わるようにした。
本人と会えなくても、家人とのコミュニケーションを大切にし、指導について家庭との連携を図るようにした。
G男と話し合うときは、1対1のチャンスなので、「G男が何を感じ、何をしているのかを知る」よう努めた。その折りにも、長時間居座ることなく、さっぱりとした訪問になるよう心掛け、回数を多くした。
行事の案内等は、本人の参加意志の有無に関わらず、もし本人が参加しようとしたときに不安を抱かせないよう、できるだけ丁寧に連絡をした。(生徒たちにも誘いに行かせた。)
- 学級との接点を大切に
G男本人の気持ちについても折りにふれて語り、学級の生徒の理解を求めるなど、どのような状態にある生徒も共感的に支え合える学級づくりを目指した。
配布物があるときは、その日の内に生徒を通じてG男にわたすなどして、学級の様子が常に伝わるようにした。
学級親子レクリエーション等については、同じ学級の保護者から、G男の保護者を誘ってもらうようにした。
- 学校全体に対応を広げて
G男の状態を全校の職員が理解し、対応に協力してもらうことが大切であると考え、生徒指導主事を中心に幾つか取り組んだ。
- 相談室の用意……原学級へのステップとなるよう、再登校してきたときのため、相談室を整備し、対応できるようにした。
- 担任者会の設置……G男だけではなく、他にも不登校生がいる。そのような生徒に対する指導が、学校内で統一され、担任だけの負担にならないよう、関係の職員で構成する会を組織し、チームで取り組めるように考えた。
- 不登校生の親の会の設置……G男の親を含め、不登校生の親が集まり、不安や悩み等を気軽に話し合える場を設け、親が、不登校生のわが子に、温かく余裕を持って接することができるようにした。
- 相談室登校ができるようになったG男
家庭内暴力もおさまり、家庭での生活に退屈しだした様子が見えたので、相談室登校を誘ってみた。
不定期に登校することはできるようになってきたので、G男には、その日一日の行動の一切を自己決定させ、その決定については注文をつけない、という方法をとった。「相談室にしか登校出来ない」ととらえるのではなく、「相談室に登校出来ている」ととらえ、今を大切にしたいと考えた。
- 原学級の協力等で人間関係を広げる
特殊学級の生徒や原学級の生徒、他学級の生徒との関わりをさり気なく増やしていって人間関係を広げた。
給食や配布物などは、原学級の生徒が相談室へ届け、接触する人数も増やした。
教科の指導については、本人の進度に配慮しながら、空き時間の職員が担当した。
しかしG男自身の頑張りにも波があり、すこし無理な状態があると、逃げだして喫煙する、というようなことが度々あった。
- 「級友の誘い」で学級へ戻ったG男
相談室登校をするようになって丁度1年たったころから、「級友の誘い」を意識的に増やした。それによって原学級に顔を出す機会が増え、やがて自然に戻ることができた。
そうなるために、学級の生徒への指導として、「特別視しない」「頑張らせない」「服装違反等については問題にしない」等の申し合わせをした。その理由についても時間をかけて理解をさせた。
3.事例から学んだこと
- 学校へ行きたいが行けない、という苦悩を理解し、やがて自力で立ち上がれるよう、寄り添い援助する。
- 「どうしているかな、つらいだろうな」と思いを馳せながら、そっと足を運ぶことが大切である。
- 今、できていることを大切にし、家族や本人の焦りを和らげながら援助していくこと。指導的姿勢は禁物。
- 不登校という状態が誰にでも起こりうる状態であり、決して「だらけ」や「さぼり」ではない、ということを理解させる。ボンタンやタンランでの登校などについても「仮面」の一つであることを理解させ、学級集団の包容力を高める。
- 本人の様子については、保護者の了解を得た上でその都度学級に知らせ、援助の方法についても、学級全体で共に考えていく。
- 不登校生の机やロッカーが、いつ登校しても本人が使えるようにしておく。
配布物も、本人の机に「○○君連絡箱」というようなものを置き、教室で配布されたものは、原則的に、全て家庭に届くようにする。
- 不登校生への指導を通しながら、困っている人や、弱い立場の人にも目が向く、温かで包容力のある学級づくりを目指す。
- 不登校を起こしていない生徒にも、一歩前の生徒は多い。欠席した日などは、どの生徒にも電話等で声を掛けるなど、きめ細かく対応したい。
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4.事例3 学級集団の成長と共に
不登校のH子を支えた力(高3)
1.学級の実態
全体としては、明るく、元気がよいが、小さな集団で固まりやすく、人間関係が広がりにくい傾向があった。担任に対しても、距離をおいて対する感があり、提案することに声を出して反対をすることもない代わりに、賛同して積極的に取り組むような姿勢も乏しかった。中には陰にまわって担任の批判をする生徒もあり、学級全体がその雰囲気に支配されている面もあった。(学級発足当時)
2.指導の概要
- 「担任と生徒一人一人の人間関係をきめ細かくつくる」……生徒一人一人の個性を尊重する。個人の秘密の保持は厳格に行う。
- 「生徒同士の人間関係を豊かにする」……学級行事を多く取り入れ、仲間のすばらしい面や、優れたところに気づかせることで、集団を大きくしていく。
- 「団結して物事に当たる場面を作る」……一度原則を作ったら、例外を認めず断固とて実行を迫る。原則を変更したい時は、手順を踏んで要求させる。
- 1年生で生徒会役員への立候補
校則違反をして平然としている生徒、それを見てみぬふりをしている生徒に対して、「規則を変えたいのなら、きちんと手順を踏むべきだ。ルールがありながら、それを承知で破るなんていうことは卑怯者のすることだ。」と、激しく迫った。
そのため、担任への風当たりは強くなったが、一方で、担任という共通の壁に、生徒同士は次第に団結をしていった。
生徒会の役員選挙が公示された時、立候補を促そうとして「どうだ、君たちの力で学校を変えていこうと思わないか。」と、問いかけてみた。
はじめはキョトンとした様子だったが、しばらくして、生徒のなかに「立候補してみようかな」というものが現れた。
「彼の立候補こそ、この学級の黎明である。そしてそれはこの学校の黎明につながるのだ。」少し、大げさだが、学級担任の気持ちを生徒たちにぶつけ、公約や応援組織等、学級全体として本気で考えさせた。
お祭り騒ぎ的な部分もあったが、擁立のための議論をたたかわせていくうちに、生徒会活動に対する意識が高まり、学級全体に建設的な雰囲気が醸成されていった。
選挙の結果、学級から立候補した生徒は本部役員に当選し、学級全体が、やればできる、という実感を得ることができた。
それからは、学級の雰囲気がガラリと変わり、受け身の指示待ち状態から、担任に対して積極的にいろいろ提案してくるようになっていった。
- 合唱コンクール、優勝
団結し、前向きに生きていくことの手応えを感じてきている時に、2年生になり、「合唱コンクール」の時期が来た。
今までのような無気力な取り組みから、うってかわって「やろうぜ」という生徒同士の声が聞こえ、朝夕の練習にも熱が入った。当初は、ただ声が大きく、合唱とよべる状態ではなかったが、とりあえず元気な声が出ていることでよしとして練習を続けさせた。
そうしているうち、女子の合唱部員から、「もう少しお互いの声を聴き合おう」という声が出て次第にハーモニーが整いだした。
響き合うメロディを聴きながら歌う生徒の横顔が実に美しく、互いの表情に、生徒自身も感動しているように見えた。
結果的に、そのコンクールでは、全校優勝し、感動体験を全員で味わうことができた。
- 不登校に陥ったH子に対して
2年の9月頃からH子の欠席が目立つようになってきた。それまで、学級の中心的な存在で頑張ってきたH子の欠席については、学級の生徒も少なからず気にして心配を口にするものも多かった。
そこで、H子の状況について、家庭の了解を得て全員に説明をすることにした。
成績も良く、穏やかで誰にでも優しいH子が、実は自分をさらけ出せずにいたこと、周りは、H子に甘え、全員で寄り掛かっていたこと、等に気づかせた。
修学旅行が近づいた10月の初め、母親を通じてH子に旅行の参加確認をすると、「参加する」という答えだった。
H子はその頃、拒食、不眠、昼夜逆転、というような状態にあり、時々精神的に不安定になってパニックを起こす、ということもあった。その状態を考えると、旅行は厳しいものがあったが、学級に本人の意向と現在の状況を伝え、全員でH子の参加を支えようということになった。
H子はもちろんその事は知らずに参加した。
睡眠薬を服用し、夜は眠ろうと努力していたが、3日目に限界がきた。
パニックを起こしている、という報告を受け、行ってみると、部屋の片隅にうずくまっている。就寝時刻を過ぎていたので、2、3人の親しい生徒以外は布団の中で静かにしており、その様子に騒ぐものはいなかった。「大丈夫です。任せてください」という友人の言葉に、取り合えず引き返し、部屋で待機していると、しばらくたってH子が眠ったとの報告があった。
翌朝、そばにいたI子に、昨夜の様子を聞くと、親友の一人が、H子に「自分を痛めつけるのはやめて。気に入らないことがあったら私にしていいよ。」と優しく言ってあげたとのこと。H子はその後、親友に寄り添うようにして眠ったという事だった。
翌日のH子は、一緒にバスのカラオケではしゃぐなど、昨夜のことが嘘のようにさわやかな表情だった。
以後、H子は不安定な状況になることもなく旅行は無事終了した。
H子はその後、徐々に回復し、しばらくして、普通に登校出来るようになった。
3.事例から学んだこと
- 学級担任が程よい抵抗感を発揮しながら、生徒に成功感を味わわせるべく諸行事を教材化していくことが、学級づくりにとって大切な視点であると思われる。
- 不登校等が起きたとき、ただその事のみ考えても解決が難しい。むしろ、そのような事が生じてきた学級そのものの体質にメスを入れ、学級を育てる視点で取り組む事のほうがよいと思われる。
- なにより、生徒の力を信頼し、行事や日常活動も出来るかぎり任せる。教師は、生徒の後ろから援助し、取り組んだことが必ず成功に結びつくように努力することが大切であると思われる。
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