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更新日:2014年6月24日
水産試験場
コレゴヌス養殖技術開発の記録
民間での稚魚生産
佐々木 治雄
昭和60年(1985年)に種苗の注文が30万尾を超えるようになり、水産試験場のみの生産では応じられない状況になってきた。そこで民間での生産が考えられたが、当時の状況では施設や技術の面から採卵、ふ化は難しいということで、ふ化仔からの稚魚養成を民間でやってもらおうということになった。佐久支場の中の検討で生産システムとしては、これまでの浅科大池での飼育成績から見て、溜池を利用して稚魚の一次養成を行い、二次養成を養殖池で行うというシステムを採用した。
使用できる溜池としては、自然条件と管理条件から塩田養殖漁協管内の溜池がよかろうということで、漁協と相談したところシナノユキマスを手がけることには乗り気になってくれ、泉池で生産することに決定した。また、二次養成の池としては、水試に近い佐久養殖漁協に相談したところ佐久養殖団地の池でとの回答を得た。
一次、二次の養成場所について内諾を得たことから、昭和62年(1987年)1月31日に両養殖漁協と佐久支場とて協議を行い、民間での種苗生産の第一歩を踏み出した。
しかし、このシステムは結論を先に言うと、うまく行かないこととなった。その理由は、溜池での生産の不安定性にあった。昭和61年(1986年)の1年目こそ10万尾の取揚げがあったが、2年目以降はまったくの不漁となった。この原因としては、ふ化仔魚放養前に池の消毒は行うが、注水を行う時にはモツゴ、フナが入り込み、これらによる食害であろうという結論であった。さらに、泉池が埋め立てられることとなり、他に適当な池が見つからないことから、このシステムでの生産は中止のやむなきに至った。
このころ佐久支場においては、場内池での生産試験が良い成績を上げられるようになり、昭和62年(1987年)にはふ化仔132万尾の放養に対し、54万尾の餌付け稚魚を生産した。このような状況の中で、溜池利用でなく養殖池利用で稚魚生産は可能であろうという気運が出てきた。そこで再び佐久養殖漁協へ相談したところ、これまで佐久養殖団地の池で試験的に行ってきたふ化仔放養からの稚魚生産の結果から見て、本格的に事業規模の生産をしても良いとの回答を得た。そこで水試だけでは需要をまかなえない時には長野県漁業協同組合連合会へ出荷を行うとの条件で、昭和62年からふ化仔100万尾を放養して生産を開始した。
こちらの方は年によって原虫寄生や鰓病が発生し成績が変わるが、水試とほぼ同様の成績を上げている。
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