ここから本文です。
更新日:2014年6月24日
水産試験場
コレゴヌス養殖技術開発の記録
はじめてのふ化
チェコスロバキアから卵が到着
伴野 信夫
昭和50年(1975年)1月、羽田空港に卵が到着するという。当時は、東京~大阪間は便利であったが、信州~東京間はやっと中央高速道が勝沼インターまで開通したところであった。
早めに空港に出向き、飛行機を見ながら待っていたが、なかなか荷物が出て来なかった。共産圏からの荷物ということで、税関、動植物検疫等で大分時間がかかったようだ。
荷姿は、発泡スチロール箱で、中に盆が重ねてあり、卵が並べてあったが、ヨード剤の匂いがしたので、消毒はされているようであった。ウイルス検査用に北海道大学水産学部へ送るため、卵の一部を小分け荷造りして発送した。長野や北海道に電話するのに10円玉を忙しく入れ、もうなくなりそうになって困ったのを記憶している。
真夜中に帰り、改めてヨード剤消毒を行い、縦型ふ化槽に収容。また、卵を計量したが、20万粒の予定が14万粒しかなかった。卵と送料の負担は、全農研究所がしたようだ?
その後、昭和55年(1980年)まで計7回羽田を往復し、220万粒(ペレッド60万、マレーナ160万)の卵が導入された。
羽田から車で運ばれたマレーナの発眼卵。右側の白い箱の中
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください