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更新日:2014年6月24日
水産試験場
コレゴヌス養殖技術開発の記録
シナノユキマスの導入
富永 正雄
歴史的にも生産的にも栄光の連を歩いてきた佐久鯉に、急激な翳りが見え出してきたのは1970年代頃からであろうか。それは、その頃から急速に溜池や網生け簀による生産が急増し、佐久で3年かかる1kgの鯉が新興の他地区では2年でできたのである。これは味の問題を別とすれば、重量制価格取引では太刀打ちできない市況に追い込まれていたのである。
佐久地方の気象、とりわけ水温環境の中で、飼育可能な未着手の魚種はないものか、それが新魚種模索の動機であった。模索の範囲は国内、国外に及んだが、主として国外に興味が広がり、文献、情報誌の中からいくつかの魚種が浮かんできた。しかし、外来新魚種となると本邦における定着の可能性、社会的有用性、自然界の生態系に及ぼす影響、魚病の侵入防止などいくつかの検討項目をクリアしなければならなかった。2~3年を費やした末にしぼられたのがホワイトフィッシュWhite fishであった。ホワイトフィッシュは、学名ではコレゴヌス属Coregonusに分類されるが、その種及び亜種はきわめて多く、生息も北半球の北緯50度付近またはそれ以北の各地に広く分布しているものであった。
この魚種のわが国への導入の記録をたどると、1930年(昭和5年)にソビエトから卵を導入して琵琶湖に放流された実績を初めとし、他の数か所でわずかな飼育や放流が試みられた記録はあるが、その後いずこにもこの魚は姿を見せていないので、恐らく当時導入されたものは現存していないものと判断された。そして、近年(1970年(昭和45年))になって青森県水産試験場にオームリという名(ロシア語名)のCoregonus autumnalis migratoriusの卵が20万粒導入された。
これは導入先がソビエトで、当時の青森県知事が親善訪問の際、出された食卓でその味の良さとともに、アオモリに似た発音であったため、早速寄贈を受けたというエピソードもある。
話は前後するが、1978年(昭和53年)頃から日ソ漁業科学技術協力協定による魚類交換で、C.peled,C.mukusun,C.lavaretus baeriなどが導入されているが、いずれもコレゴヌスに属するものである。
さて、我々が選択したコレゴヌス・ペレッドCoregonus peled及びコレゴヌス・マレーナC.lavaretus maraenaは、それほど精査したわけではない。当時、ソビエトのコルホーズなどでも有用魚種として飼育されていた経過から、野生のものよりは飼育が容易であろう、入手の可能性もあるだろう、ということで目標の魚種として選んだ。当時の淡水研報のなかで加福竹一郎さん(故人)、里見至弘さんの紹介解説などを参考にした記憶がある。
水産庁などの会合で、関係者にこの魚種導入の希望を伝えていたが、当時、ソ連との単発的導入交渉など極めて難事だったことを思い、半ば諦めていた。半年くらい過ぎた頃だったか、全農の金子徳五郎さんから連絡を受け、株式会社組合貿易(100%全農出資)の部長さんが長野県の出身で、郷里の水産試験場で希望しているなら一肌脱いであげよう、との嬉しい厚意をいただいた。当時、㈱組合貿易は、東欧諸国に農機具を輸出していたらしく、チェコスロバキアのプラハに出張所があり、ここにコレゴヌスの諸事情を調査していただいたところ、ソ連からの導人種である前記2種が飼育されていることが分かった。折り返し、卵の入手可否を打診していたたいたところ、プラハから50~60kmの所で採卵していて、昭和50年(1975年)に20万粒の導入まで漕ぎ着けたことは、いま思い出しても幸連な端緒であったと思う。
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